小干浦キリシタン殉教碑

日本キリスト教史における唯一無二の発見

小干浦キリシタン殉教碑

江戸時代初頭の1624年(寛永元)。 キリシタンの市五郎左衛門トマスとその子与介ドミンゴが、棄教を拒んだため西彼杵半島の小干浦で斬首された。信仰に命をささげた親子の遺骨は、約340年後に発掘されることとなる。
それはわが国のキリスト教史の一ページに刻まれる貴重な発見となった。そのあらましを記しておきたい。
(本文末尾には、自動車でのルートについて記しておきました)

発掘されたスペイン語銅板と遺骨

1965年(昭和40)。 長崎市北部の葉山町で、加藤十久雄、結城了悟[1]1922年 – 2008年。スペイン・セビリャ出身のイエズス会司祭。
旧通称ディエゴ・パチェコ。日本二十六聖人記念館初代館長で日本キリスト教史研究に偉大な足跡をのこす。
両氏の手によってスペイン語銅板が発掘された。その銅板に刻まれた銘文によって、市五郎左衛門トマス・与介ドミンゴ親子の殉教が、史実として確定された。
銅版(A) 「この箱の中に至福なる殉教者、故市五郎左衛門トマス七二歳と、その子与介ドミンゴ三七歳の二人の死体がある。 (この方々は)一六二四年(寛永元年)七月十七日、大村領の村、小干の浦で棄教するのを拒んだので頭(首)を切られたのである。
No12 この箱は日本に於ける聖ドミニコ会のものである」
銅版(B) 「至福なる市五郎左衛門トマスと与介ドミンゴ 一六二四年七月十七日 No12」[2]西彼町教育委員会(編)、『西彼町郷土誌』、西彼町教育委員会、2003年、760~761ページ
また、銅板とともに発掘された壺には、市五郎左衛門親子の遺骨が納められていた。この遺骨は名が判明した殉教者のものとしては、わが国唯一となる歴史的遺物である。
なお銅板は長崎二十六聖人記念館[3]JR長崎駅徒歩約10分。長崎市西坂町7-8。有料:大人500円に資料展示されている。

小干浦キリシタン殉教碑の建立

小干浦キリシタン殉教碑歴史的発見から5年後の1970年(昭和45)。 亀浦郷小干浦の岬にある西村庭園内[4]西村真珠の厚意によって殉教碑の建立地が提供されたに、西彼町と関係者の協力によって小干浦キリシタン殉教碑が建立された。 そのさい、市五郎左衛門親子の遺骨が碑のなかに収められた。

小干浦キリシタン殉教碑からの風景小干浦キリシタン殉教碑からの風景

この殉教碑は潮風ただよう小干浦の岬に、凄惨な歴史をものがたる証言台としてたちつづけている。

自動車での推奨ルート

チェック
駐車は必ず小干漁港の邪魔にならないスペースにしてください
小干浦キリシタン殉教碑への案内板干浦キリシタン殉教碑への案内板
1.国道206号線から長崎バイオパークへ向かう県道120号線へ曲がり、そのまま直進します。そして複数設置されているキリシタン殉教碑への案内板通りに進みます。  
 
小干浦キリシタン殉教碑の位置2.小干の漁港へとくだる地点で、恵美須鼻と大村湾をのぞむ、ビューポイントがあります。
ぜひ車を停めて鑑賞してください。キリシタン殉教碑は、この恵美須鼻の岬にあります。  

小干の漁港小干浦キリシタン殉教碑までの道のり
3.小干の漁港までくだり、迷惑のかからないスペースに駐車してください。
(※これより先に駐車スペースはありません)
4.海岸線に沿って歩きます。  
 
小干浦キリシタン殉教碑入口小干浦キリシタン殉教碑のある西村庭園通路
5. 5分弱でキリシタン殉教碑のある西村庭園の入口につきます。キリシタン殉教碑は、この庭園内奥にあります。

基本情報

 所在地 長崎県西海市西彼町亀浦郷 西村庭園内奥  地図上の位置
 問い合わせ 「長崎巡礼センター」 長崎市尾上町1-88
長崎バス観光案内所2階 ℡:095-893-8763
 交通アクセス 自動車推奨。行き方については当記事最後の「自動車での推奨ルート」を参照のこと

最寄りのキリスト教史跡

  1. 「白栄山泉浄寺跡」
    西海市西彼町中山郷2602番地2。小干浦キリシタン殉教碑から車で約10分足らず

  2. 「高島」
    亀浦郷恵美須鼻の先にある小島。1617年(元和3)にアルホンソ・ナボレット神父などが殉教した(『日本聖人鮮血遺書』)[5]西彼町教育委員会(編)、『西彼町郷土誌』、西彼町教育委員会、2003年、761ページ

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「ユネスコの世界遺産」へ推薦されている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。
その構成資産以外にも、長崎県下には多くの貴重な教会とキリスト教関連史跡があります。それをコラムとして紹介していきます。

脚注・出典   [ + ]

1. 1922年 – 2008年。スペイン・セビリャ出身のイエズス会司祭。
旧通称ディエゴ・パチェコ。日本二十六聖人記念館初代館長で日本キリスト教史研究に偉大な足跡をのこす。
2. 西彼町教育委員会(編)、『西彼町郷土誌』、西彼町教育委員会、2003年、760~761ページ
3. JR長崎駅徒歩約10分。長崎市西坂町7-8。有料:大人500円
4. 西村真珠の厚意によって殉教碑の建立地が提供された
5. 西彼町教育委員会(編)、『西彼町郷土誌』、西彼町教育委員会、2003年、761ページ

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