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グラバー園からの夜景 |
前回の「鍋冠山公園への徒歩での行き方 ~往路編」のPart2です。
今回は復路編となります。その世界遺産「大浦天主堂」は、毎夜22:00までライトアップされます。両ルートでもその幻想的な姿を眺めることができます。
(2)「グラバー園の夜間開園」は、期間限定/有料。 [1]夜間開園の日程は 「グラバー園の夜間ライトアップ【営業時間と日程、入場料2018】」 でご確認ください。(3)記事末尾には、ルート最終地点にある長崎ちゃんぽんの名店「四海樓」と「みらく苑」を紹介しています。四海樓は夜8:00オーダーストップですので、それを念頭にスケジュールを立ててください。
「グラバー園第2ゲート」⇒「鍋冠山」への徒歩コース
以下、「鍋冠山展望台」⇒「グラバー園」or「祈念坂」コースをガイドします。
「鍋冠山公園」から「グラバー園第2ゲート」まで
夜景を満喫したら、展望台から帰路へむかいます。
行きと同じルートで歩を進めます。
展望台を降りたら、裏手に回る歩道へ進み、階段を降りてください。なお、適所に外灯が設けられているので、懐中電灯は不要です。
グラバー園の第2ゲートまでは、終始降りの道をおりるだけなので、迷わずらっくらくにつけます。
所々のビュースポットに心奪われます。
「グラバー園第2ゲート」と「祈念坂」への分岐点
祈念坂コースはコチラ | |
夜間開園のグラバー園を満喫しよう!
計4か所のハートストーン(ハートの石)を忘れずに。カップルで触れると恋が成就します。
「大浦天主堂」から「四海楼」まで
ライトアップされる大浦天主堂
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の一つとして世界遺産入りした「大浦天主堂」。
同天主堂では、夜10:00まで毎夜ライトアップされます(入園は不可)。 ブルーモーメントに浮かびあがる幻想的な大浦天主堂。観る者を非日常の世界へいざないます ( 大浦天主堂と潜伏(隠れ)キリシタンは、どう関係あるの?という方) [2]大浦天主堂の設計者の一人で、幕末にフランスから渡来したプチジャン神父は、長崎にはキリシタンの末裔が存在しているのはないか?という淡い期待を抱いていました。そのため1865年(元治2年)完成した同天主堂に、漢字で「天主堂」(教会堂の意)と揮毫された扁額を掲げ、まだ見ぬキリシタンへメッセージへ送ります。一方本当に実在した浦上の潜伏キリシタンたちは、外国人居住地に天主堂が建てられたことを風の便りで知ります。イサベリナ杉本ゆりを始めとする15名の代表が、事実を確認すべく大浦天主堂を訪問。そして、そこにいたプチジャン神父と出会ったゆりが、歴史に残る次のセリフを発します。「サンタ・マリア(マリア様)の御像はどこ?」
この瞬間、250余年もの長きにわたり、浦上のキリシタンが信仰を堅持しつづけていた奇跡が明らかとなります。これが当時の西欧で驚きをもって受け止められた「信徒発見」のあらましです。つまり大浦天主堂は、この「信徒発見」の歴史的舞台なのです(このときのマリア像は現存しており、大浦天主堂内で展示されています。) 。
最後はやっぱ「ちゃんぽん」でしょう!
四海樓 | ちゃんぽん(1,080円) |
長崎グルメの定番中の定番「長崎ちゃんぽん」。グラバー通りをくだった先にあるその名店をご紹介。
まずは長崎ちゃんぽん・皿うどん発祥の店「四海樓」。明治32年(1899年)創業の四海樓は、長崎の古謡に「すべっても転んでも四海樓の前でちゃんぽん食わなきゃ腰ゃたたぬ」と謡われた老舗です。芥川龍之介や山下清、そして孫文が舌鼓をうった元祖長崎ちゃんぽん。その味はここでしか味わえません。
所在地 | 長崎県長崎市松が枝町4-5 地図上の位置 |
営業時間 | 11:30~15:00 / 17:00~21:00(OS 20:00) |
定休日 | 不定休 |
予約・問い合わせ | ℡ 095-822-1296 |
備考 | 全面喫煙可 |
ただし同店は「江山楼」と並ぶ超人気店で、待ち時間はほとんど当たり前。待つのはちょっとという方には四海樓から150メートル先の「みらく苑」へどうぞ。
みらく苑 | 長崎ちゃんぽん 790円 |
「みらく苑」は、地元長崎もんに広く愛される中華料理店。
「四海楼」&「みらく苑」のちゃんぽんは、スープ濃厚系、太麺やや固め、そして錦糸卵が盛りつけられているのが共通の特徴。濃厚系が好みの方には、ともに一押しの味です。
所在地 | 長崎県長崎市大浦町3-30 地図上の位置 |
営業時間 | 11:30~21:00 |
定休日 | 火曜日 |
問合せ | ℡ 095-822-5403 |
最寄りの電停
「大浦天主堂」 地図上の位置
このコース最終地点での最寄りの電停は「大浦天主堂」となります。 グラバー園周辺で宿をとっている方は、そちらへ。そうでない方は、路面電車で目的地へ向かってください。
プロ認定【稲佐山級の美しさ!】
それでは。~一生記憶に残る旅となれば幸いです
【了】
(2ページ目は祈念坂コースの記事です。機会があればここも是非訪れてください)脚注・出典
↑ 1. | 夜間開園の日程は 「グラバー園の夜間ライトアップ【営業時間と日程、入場料2018】」 でご確認ください。 |
↑ 2. | 大浦天主堂の設計者の一人で、幕末にフランスから渡来したプチジャン神父は、長崎にはキリシタンの末裔が存在しているのはないか?という淡い期待を抱いていました。そのため1865年(元治2年)完成した同天主堂に、漢字で「天主堂」(教会堂の意)と揮毫された扁額を掲げ、まだ見ぬキリシタンへメッセージへ送ります。一方本当に実在した浦上の潜伏キリシタンたちは、外国人居住地に天主堂が建てられたことを風の便りで知ります。イサベリナ杉本ゆりを始めとする15名の代表が、事実を確認すべく大浦天主堂を訪問。そして、そこにいたプチジャン神父と出会ったゆりが、歴史に残る次のセリフを発します。 「サンタ・マリア(マリア様)の御像はどこ?」 この瞬間、250余年もの長きにわたり、浦上のキリシタンが信仰を堅持しつづけていた奇跡が明らかとなります。これが当時の西欧で驚きをもって受け止められた「信徒発見」のあらましです。つまり大浦天主堂は、この「信徒発見」の歴史的舞台なのです(このときのマリア像は現存しており、大浦天主堂内で展示されています。) |
↑ 3. | 江戸時代、西洋で貿易を許されたのは唯一オランダだけで、それも長崎の出島限定でした。そのため明治初期になっても、長崎人にとってはヨーロッパ人=オランダ人という認識をもっていました。こうした背景があって、当地を含む旧外国人居留地の多くの石畳の坂が、「オランダ坂」と呼ばれるようになります。 |