鍋冠山公園からグラバー園への徒歩の行き方  

グラバー園、展望所からの新世界三大夜景の長崎の夜景
グラバー園からの夜景

鍋冠山公園への徒歩の行き方  ~往路編【絶対迷わない】
長崎の夜景のメッカ「鍋冠山公園」。この公園へは、徒歩15分で行けます!この公園へは、徒歩15分で行けます!大事なことなので(ry 写真と地図上でのルートをもちいて、絶対迷わないよう完全ガイド。途中にある絶景の数々も併せてご紹介。

前回の「鍋冠山公園展望台 徒歩での行き方  ~往路編」のPart2です。
今回は復路編となります。

チェックポイント 帰路では「グラバー園」or「祈念坂」を経由するルートをご紹介。祈念坂は故遠藤周作がこよなく愛した大浦天主堂に面した路地裏です。

「グラバー園の夜間開園」は、期間限定/有料。 [1]夜間開園の日程は 「グラバー園の夜間ライトアップ【営業時間と日程、入場料2018】」 でご確認ください。

記事末尾には、ルート最終地点にある長崎ちゃんぽんの名店「四海樓」と「みらく苑」を紹介しています。四海樓は夜8:00オーダーストップですので、それを念頭にスケジュールを立ててください。

鍋冠山公園からグラバー園第2ゲートまで

地図とルートどす

鍋冠山展望台公園からの新世界三大夜景の長崎の夜景

夜景を満喫したら、展望台から帰路へむかいます。

鍋冠山公園展望台までの徒歩ルート

行きと同じルートで歩を進めます。

展望台を降りたら、裏手に回る歩道へ進み、階段を降りてください。なお、適所に外灯が設けられているので、懐中電灯は不要です。

鍋冠山公園展望台の徒歩ルート鍋冠山公園展望台の徒歩ルート

グラバー園の第2ゲートまでは、終始降りの道をおりるだけなので、迷わずらっくらくにつけます。

鍋冠山公園展望台途中の長崎の夜景

所々のビュースポットに心奪われます。

グラバー園第2ゲートと祈念坂への分岐点

鍋冠山公園展望台の徒歩ルート展望台から400メートル降りた地点で、「グラバー園第2ゲートと祈念坂への分岐点」に着きます。

既述の通りグラバー園の夜間開園は、期間限定/有料。グラバー園をパスする方は、祈念坂コースへどうぞ。「画像をクリック」

祈念坂コースはコチラ 
祈念坂からの大浦天主堂と長崎の夜景(長崎市南山手町と相生町の間)

夜間開園のグラバー園を満喫しよう!

グラバー園第2ゲートビュースポットの宝庫&長崎観光の定番、グラバー園へ第2ゲートからGO

ちゅうもーく【グラバー園夜間開園】撮影spotとハートストーンの位置を地図に写真付きでまとめました(※続き番号順にめぐってください)
グラバー園、旧三菱第2ドックハウス2階ベランダからの長崎の夜景
ライトアップされるグラバー園の旧グラバー住宅 ライトアップされたグラバー園の旧オルト住宅

「グラバー園の夜間開園」。どうです?こんなに素敵な光景がいたる所で見れちゃいます。

ライトアップされたグラバー園のハートストーン(ハートの石)グラバー園、旧グラバー住宅庭内のハートストーン(ハートの石)

計4か所のハートストーン(ハートの石)忘れずに。カップルで触れると恋が成就します。

グラバー園の夜間開園を200%満喫させます!そのための記事はコチラ

グラバー園を満喫したら、長崎伝統芸能館を通り出口に出てください。最初に入った第2ゲートから出ると、ライトアップされる大浦天主堂をスルーします!

長崎伝統芸能館からの出口を右折して約150メートルで、大浦天主堂前の小広場に着きます。

大浦天主堂から四海楼まで

ライトアップされる大浦天主堂

ライトアップされた世界遺産候補、国宝の大浦天主堂

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の一つとして世界遺産入りした「大浦天主堂」

同天主堂では、夜10:00まで毎夜ライトアップされます(入園は不可)。 ブルーモーメントに浮かびあがる幻想的な大浦天主堂。観る者を非日常の世界へいざないます ( 大浦天主堂と潜伏(隠れ)キリシタンは、どう関係あるの?という方) [2]大浦天主堂の設計者の一人で、幕末にフランスから渡来したプチジャン神父は、長崎にはキリシタンの末裔が存在しているのはないか?という淡い期待を抱いていました。そのため1865年(元治2年)完成した同天主堂に、漢字で「天主堂」(教会堂の意)と揮毫された扁額を掲げ、まだ見ぬキリシタンへメッセージへ送ります。

一方本当に実在した浦上の潜伏キリシタンたちは、外国人居住地に天主堂が建てられたことを風の便りで知ります。

イサベリナ杉本ゆりを始めとする15名の代表が、事実を確認すべく大浦天主堂を訪問。そして、そこにいたプチジャン神父と出会ったゆりが、歴史に残る次のセリフを発します。

「サンタ・マリア(マリア様)の御像はどこ?」

この瞬間、250余年もの長きにわたり、浦上のキリシタンが信仰を堅持しつづけていた奇跡が明らかとなります。これが当時の西欧で驚きをもって受け止められた「信徒発見」のあらましです。

つまり大浦天主堂は、この「信徒発見」の歴史的舞台なのです(このときのマリア像は現存しており、大浦天主堂内で展示されています。)

ルート付地図です

下り松オランダ坂(グラバー通り)グラバー通りを降ります。実はここも「オランダ坂」(下り松オランダ坂)なんです。 う・ん・ち・く [3]江戸時代、西洋で貿易を許されたのは唯一オランダだけで、それも長崎の出島限定でした。そのため明治初期になっても、長崎人にとってはヨーロッパ人=オランダ人という認識をもっていました。こうした背景があって、当地を含む旧外国人居留地の多くの石畳の坂が、「オランダ坂」と呼ばれるようになります。

最後はやっぱ「ちゃんぽん」でしょう!

ライトアップされた四海楼四海楼のちゃんぽん
四海樓ちゃんぽん(1,080円)

長崎グルメの定番中の定番「長崎ちゃんぽん」。グラバー通りをくだった先にあるその名店をご紹介。

まずは長崎ちゃんぽん・皿うどん発祥の店「四海樓」

明治32年(1899年)創業の四海樓は、長崎の古謡に「すべっても転んでも四海樓の前でちゃんぽん食わなきゃ腰ゃたたぬ」と謡われた老舗です。芥川龍之介や山下清、そして孫文が舌鼓をうった元祖長崎ちゃんぽん。その味はここでしか味わえません。

所在地長崎県長崎市松が枝町4-5  地図上の位置
営業時間11:30~15:00 / 17:00~21:00(OS 20:00)
定休日不定休
予約・問い合わせ℡ 095-822-1296
備考全面喫煙可

ただし同店は「江山楼」と並ぶ超人気店で、待ち時間はほとんど当たり前。待つのはちょっとという方には四海樓から150メートル先の「みらく苑」へどうぞ。

みらく苑 (みらくえん)みらく苑 (みらくえん)のちゃんぽん
みらく苑長崎ちゃんぽん 790円

「みらく苑」は、地元長崎もんに広く愛される中華料理店。

「四海楼」&「みらく苑」のちゃんぽんは、スープ濃厚系、太麺やや固め、そして錦糸卵が盛りつけられているのが共通の特徴。濃厚系が好みの方には、ともに一押しの味です。

所在地長崎県長崎市大浦町3-30   地図上の位置
営業時間11:30~21:00
定休日火曜日
問合せ℡ 095-822-5403

最寄りの電停

「大浦天主堂」  地図上の位置

このコース最終地点での最寄りの電停は「大浦天主堂」となります。

グラバー園周辺で宿をとっている方は、そちらへ。そうでない方は、路面電車で目的地へ向かってください。

「鍋冠山の夜景」&「グラバー園の夜間開園」。その専門記事です。何度も取材して書き上げた労作です。

グラバー園のライトアップ2018~【夜間開園を遊び尽くす】攻略ガイド
「グラバー園の夜間開園」。その最終完全版なガイド記事を上梓!日程から営業時間、交通アクセス、ライトアップされる「グラバー邸」、そして各所からのキラッキラな夜景までを完全網羅!

それでは。~一生記憶に残る旅となれば幸いです

 

         【了】
2ページ目は祈念坂コースの記事です。機会があればここも是非訪れてください

本稿の執筆、すべての写真撮影(マイマップの写真含):当管理人

画像・文章の無断転載を固くお断りします(観賞価値・作品性を有する写真の引用は、著作権法によりできません。行えば損害賠償の対象となります)。
詳しくは「転載、引用について」をお読みください。

脚注・出典   [ + ]

1. 夜間開園の日程は 「グラバー園の夜間ライトアップ【営業時間と日程、入場料2018】」 でご確認ください。
2. 大浦天主堂の設計者の一人で、幕末にフランスから渡来したプチジャン神父は、長崎にはキリシタンの末裔が存在しているのはないか?という淡い期待を抱いていました。そのため1865年(元治2年)完成した同天主堂に、漢字で「天主堂」(教会堂の意)と揮毫された扁額を掲げ、まだ見ぬキリシタンへメッセージへ送ります。

一方本当に実在した浦上の潜伏キリシタンたちは、外国人居住地に天主堂が建てられたことを風の便りで知ります。

イサベリナ杉本ゆりを始めとする15名の代表が、事実を確認すべく大浦天主堂を訪問。そして、そこにいたプチジャン神父と出会ったゆりが、歴史に残る次のセリフを発します。

「サンタ・マリア(マリア様)の御像はどこ?」

この瞬間、250余年もの長きにわたり、浦上のキリシタンが信仰を堅持しつづけていた奇跡が明らかとなります。これが当時の西欧で驚きをもって受け止められた「信徒発見」のあらましです。

つまり大浦天主堂は、この「信徒発見」の歴史的舞台なのです(このときのマリア像は現存しており、大浦天主堂内で展示されています。)
3. 江戸時代、西洋で貿易を許されたのは唯一オランダだけで、それも長崎の出島限定でした。そのため明治初期になっても、長崎人にとってはヨーロッパ人=オランダ人という認識をもっていました。こうした背景があって、当地を含む旧外国人居留地の多くの石畳の坂が、「オランダ坂」と呼ばれるようになります。

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