崇福寺(長崎)【所要30分で名所巡り】完全ガイド

長崎ランタンフェスティバル(崇福寺会場)の大雄宝殿(本堂)
国宝!「大雄宝殿」

 
崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門(国宝)
さらに国宝!「第一峰門」

 
崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門(龍宮門)、雪化粧 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖門 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂
重要文化財「三門」  〃 「媽祖門」  〃 「護法堂」

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の鐘鼓楼 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の鐘鼓楼
重要文化財「鐘鼓楼」 県指定史跡「媽祖堂」 県指定文化財「梵鐘」

「京都の世界遺産仏閣に匹敵する」長崎のお寺!

それが「長崎の崇福寺」です!

なにしろ、九州5件の国宝建築物のうち、【2件が同寺にあります】。

その他にも、

 • 国指定重要文化財 ×5

 • 県指定有形文化財 ×4

 • 市指定有形文化財 ×10

と、まさに文化財の宝庫

寛永6年(1629年)に渡来した明僧・超然(ちょうねん)により開山された「聖寿山 崇福寺」。隠元禅師由来の唐寺として、在留華僑が私財を惜しみなく寄進した長崎四福寺の筆頭です。

以下、黄檗宗建築の粋を尽くした【世界遺産級の仏閣】をご案内します。

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基本情報

所在地長崎県長崎市鍛冶屋町7-5
拝観料

  1. 大人:          300円
  2. 高学生:       200円
  3. 小・中学生: 無料

営業時間8:00~17:00
電話番号095-823-2645

山号聖寿山(しょうじゅさん)
宗旨黄檗宗
開基超然(ちょうねん)
創建寛永6年(1629年)

【駐車場について】

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の駐車場 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の駐車場
三門前から右折すれば、参拝者用の駐車場です。 10台以上停められます(無料)。

路面電車のアクセス

(※距離270m、徒歩3分)

「御朱印」【三国志ファン垂涎】

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の売店、御朱印

「御朱印」は、境内の売店で書置きのものがお願いできます(納経料は500円。※日付は売店の方が入れてくれます)。

✔2021年1月現在、売店の方が入院中で閉鎖されています。


それでは、境内を巡りましょう。


崇福寺 【境内巡りマップ】~写真付き

現地到着後に活用ください。

【1】「三門」(重要文化財)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門(龍宮門)

おとぎ話に登場するかのようなファンシーな意匠が人目を引く三門は、「龍宮門」の別称で呼ばれる、崇福寺のランドマークです。「三門」の名の由来は、中央と左右に門戸が設けているため。

当初の山門が倒壊したあと、嘉永2年(1849)4月に、棟梁 大串五郎平以下、日本人工匠によって再建されました。

2階に掲げられた『聖寿山』の扁額は、隠元禅師の筆によるもの。

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の狛犬

三門の前に立つ中国風狛犬は、デフォルメされた造形がどこかユーモラスです。

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門(龍宮門)、雪化粧

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門、獣環 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門、魔伽羅(鯱)
獣環 魔伽羅

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門、魔伽羅(鯱) 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の三門、魔伽羅(鯱)

通路の天井に一対、屋根にも一対の「魔伽羅」(鯱。体が水でできている)、その中央にひょうたんを模した瓢瓶と、念入りに火伏を念じています。

門扉にはめ込まれているのは、国内唯一の「獣環」。模造品とはいえ貴重な装飾品です。

【2】「袖石の装飾」

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の階段脇の袖石

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の階段脇の袖石 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の階段脇の袖石 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の階段脇の袖

「三門」から「第一峰門」にあがる石段途中に、「桃と鯉が刻まれた袖石」があります。人目にはつきませんが、長寿や出世を意味する演技物ですから是非観察してください。

【3】「第一峰門」(国宝)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門(国宝)

石段を踏破すれば、最初の国宝「第一峰門」が視界に入ります。

門の中央に掲げられた、隠元禅師の門生「非禅師禅師」筆による『第一峰』の扁額がその名の由来です。

創建は正保元年(1644)で、元禄8年(1695)に中国寧波から運ばれた資材で再建され現在の姿となりました。もともとはここが山門で、明暦元年(1655年)、この門より隠元禅師を迎えています。

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門
崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門、四手先三葉栱(よてさきさんようきょう) 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門

軒下の複雑巧緻な詰組みは、四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)と呼ばれ、国内では類例がない大変貴重な様式です。

極彩色に彩られた瑞雲、丁字、方勝、霊芝による鮮麗な文様は、観る者すべてを魅了します。

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門(国宝)、コウモリ 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の第一峰門のコウモリ

中国では福寿のシンボル、蝙蝠や牡丹の紋が各所に飾られ、装飾と吉祥とを両立させた意匠は黄檗宗寺院ならではです。

【4】「護法堂」

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、礎盤、獅子 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、礎盤 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、礎盤(麒麟) 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、礎盤、梅

享保16年(1731)の建立の「護法堂」は、黄檗宗寺院としては、弥勤(布袋)と韋駄天を背中合わせに安置する聖福寺・宇治の萬福寺の天王殿に相当。

関聖・韋駄天・観音の3神を祀るため、観音堂、関帝堂、韋駄殿とも呼ばれます。

足元に目を向けると、礎盤に獅子・鹿・麒麟・梅の彫刻が刻まれているのが見てとれます。

長崎ランタンフェスティバル(崇福寺会場)の元宵節

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、関聖帝君 関聖帝(関羽)
周倉と関平を両脇に従える「関帝」(関羽)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、関聖帝君 関聖帝(関羽)崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、韋駄天菩薩崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の護法堂、観音菩薩
関帝(関羽)韋駄天観音菩薩

護法堂に祀られた関帝・韋駄天・観音菩薩の三神。関帝とは、忠義の将として、三国志でひときわ人気の高い関羽雲長その人です。

その関帝像に残る右頬の傷には、興味深い口伝が残っています。

関帝像前に菓子や食べ物を供えると、よくねずみに食べられるので、寺僧は供物を食べられるようでは霊験(神仏が示す不思議な利益)があるものかと笑っていたそうです。

ある日、即非和尚が関聖像に向かい、ねずみに食べられる罪を責めて右の頬を打つと頬の部分が剥げてしまいました。

で、翌朝見ると、韋駄天の剣にねずみが刺し抜かれており、まるで関聖の命令で韋駄天がねずみを退治したようだったそうです。 寺僧もこれには驚き、早速関聖帝像の右頬の修理をさせましたが、剥げた部分にいくら漆を塗ってもどうしてもうまく付かず、今もその跡が残っているというんです。

引用「ナガジン」発見!長崎の歩き方

武の象徴関帝らしからぬ、微笑ましいエピソードです。

【5】「大雄宝殿」(いわゆる本殿。国宝)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)、国宝

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)
千獃筆の『海西法窟』の扁額1階屋根軒丸瓦の瓦頭には「崇」、2階屋根瓦頭には「福」の文字。両方合わせて「崇福寺」を意味します。

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)、擬宝珠付き垂花柱 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)
「擬宝珠付き垂花柱」 「黄檗天井」

崇福寺(長崎市鍛冶屋町) 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の開山堂大雄宝殿(本堂)のマダラ

崇福寺、第2の国宝が、本尊の釈迦如来坐像を安置する「大雄宝殿」。

もともと唐商 何高材の寄進によって正保3年(1646)創建された単層(1階建て)建築物で、長崎市最古の建物です。天和元年(1681)頃に2階建てに重層化されたことが建築上の特徴。

下層は「黄檗天井」に「擬宝珠付き垂花柱」と黄檗宗建築様式が色濃く、逆に上層は日本人工匠の手による和様を基調に据えています。

和中の建築様式と、単層での完成と重層化された時代の差異にもかかわらず、上下の様式が違和感なく溶け込んだ壮麗なたたずまいは、崇福寺本殿としての尊厳をこれ以上になく示しています。

長崎ランタンフェスティバル(崇福寺会場)
崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)、十八羅漢像崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の大雄宝殿(本堂)、十八羅漢像
「十八羅漢像」

本尊は、昭和10年(1935年)頃の修理の際に、銀製の五臓、布製の六腑が発見された「釈迦如来坐像」。その脇を固めるのは雄々しい「十八羅漢像」です。

【6】「鐘鼓楼」(重要文化財)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の鐘鼓楼 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の鐘鼓楼

享保13年(1728)建立の和中混作の建築物。

【7】「大釜」(市指定有形文化財)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の崇福寺大釜 (市指定有形文化財)

延宝年間末(1681年頃)、飢餓で苦しむ長崎市民3000人に施粥するという、大殊勲をあげた大釜です。

【8】「媽祖門」(重要文化財)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖門

長崎ランタンフェスティバル(崇福寺会場)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の飯梆(はんぼう) [魚板・鱖魚(けつぎょ)] 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖門
時を告げる「飯梆」(はんぼう) 「瑠璃燈」

背後の「媽祖堂」との対になる「媽祖門」の組み合わせは、国内では他に例がありません。

機能上は、媽祖堂の門としてだけでなく、大雄宝殿への廊下の機能も有しています。

黄檗宗寺院独特の「飯梆」(魚板・鱖魚)と「瑠璃燈」もつぶさに観察したい逸品です。

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖門、舟底天井・黄檗天井

和式の舟底天井(写真左手)と中国式の黄檗天井(〃右手)と、2層に分かれた天井が注目ポイントです。

【9】「媽祖堂」(県指定史跡)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂、コウモリの意匠 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂

航海の神「媽祖」を祀る「媽祖堂」は、寛政6年(1794)唐船主からの浄財により再建されました。黄檗様式と和様が混在する建物には、他と同様に、蝙蝠、牡丹など縁起物が装飾されています。

長崎ランタンフェスティバル(崇福寺会場)の元宵節
崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂、千里眼 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂、媽祖像 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の媽祖堂、順風耳

建物内部に安置された媽祖像。左右に千里眼、順風耳を従えるお馴染みの配置で、参拝客を迎えます。

【10】「開山堂」

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の開山堂 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の開山堂、中興開山の即非(隠元の直弟子)像

隠元禅師の招かれて来崎し、崇福寺の伽藍を整備した中興開山の人、即非如一を祀る建物です。

【11】「墓地からの眺望」

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)崇福寺墓地より長崎市街の眺望

媽祖堂の脇から石段をあがれば、境内と長崎市街との眺望が眼下に開けます。

崇福寺三塔 (市指定史跡)

墓地内にある「崇福寺三塔」。中央が、隠元禅師の髪を埋葬した寿塔(生前に建てておく墓)で、寛文9年(1669)3月に建立されました。

【12】「売店」

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の売店

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の売店、三国志 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の売店、関羽像 崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の売店

「御朱印」、「お守り」の他、関羽・三国志グッズも豊富を取り揃えており、三国志ファンには垂涎の的です。

✔2021年1月現在、閉鎖中です。

「中国盆会」(普度盂蘭盆勝絵)

崇福寺(長崎市鍛冶屋町)の普度盂蘭盆勝絵(中国盆)

旧暦7月26日からの3日間催される、その年に他界したこの世の生き物すべての霊を供養する中国色豊かな神事。

高さ1mにまで積み上げた金山・銀山を高らかに燃やし、霊を天へ送ります。

「聖寿山崇福寺 まとめ」

長崎ランタンフェスティバル(崇福寺会場)

観光コースに是が非でも加えて欲しい名刹

(観光地としては)立地的に孤立しているためか、観光コースから除外されがちな崇福寺。ただ、その現状はあまりに惜しいです。

長崎特有となる異文化のるつぼを表現した「和華蘭文化」。その中華の要を「長崎四福寺」、なかんずく崇福寺が担っています。

所要時間30分とタイトルに付けましたが、時間が許せば、1時間以上かけて細部まで観覧して欲しい「世界遺産級の名刹」です。

参考文献・サイト:

• 長崎市役所編、『長崎市史 地誌編 地誌編仏寺部 下』、長崎市、1938年

• 長崎県教育委員会、『中国文化と長崎県』、長崎県文化団体協議会、1989年

• 長崎文献社、『旅する長崎学16 中国交流編Ⅵ唐船来航の道』、長崎文献社、2012年

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

旅行記 ・崇福寺を訪ねて - 長崎市

長崎県の文化財

長崎市│崇福寺三門(楼門)

長崎市│崇福寺第一峰門

本稿の執筆、すべての写真撮影:当管理人

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