福済寺【高さ34mの巨仏!大亀に立つ長崎観音】~御朱印情報あり

福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音
福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音 福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音と夕日

福済寺(長崎市筑後町)、フーコーの振り子 福済寺(長崎市筑後町)、普賢法界の門(通称:清浄門) 福済寺(長崎市筑後町)
日本最長級!「フーコーの振り子」 「普賢法界の門」 「大雄宝殿」

戦前は国宝に指定されていた長崎四福寺の一山「福済寺」

「福済寺」は、在留華僑がキリスト教でない証しとして、寛永5年(1628)に建立された唐寺(とうでら)です。

四福寺随一のスケールを誇った大伽藍は、国際貿易都市・長崎のサロンとして、アメリカ大統領グラント将軍夫妻、シーボルト夫妻、坂本龍馬、勝海舟などを迎えた会議・宴会が数多く催されました。

しかし、昭和20年(1945)8月9日の原爆投下によって、仙人堂、大雄宝殿、山門などの数々の国宝建築物は、小原慶山、沈南蘋が描いた絵画などとともに灰燼と化します。

福済寺のシンボル、高さ18m(地上から34m)の巨仏「万国霊廟長崎観音」は、原爆殉難者の冥福を祈って1979年に建立されたもの。

「霊亀に乗った巨大な長崎観音」にくわえ、「日本最長級を誇るフーコーの振り子」や、異国情緒漂う「文殊般若の門と普賢法界の門の双門」と、長崎四福寺のなかでは異色の存在感を放つ福済寺。

わずかに残る原爆遺構とともに、世界平和を希求しつつ、福済寺の魅力を余すところなく紹介いたします。

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基本情報

所在地長崎県長崎市筑後町2番56号
拝観料200円
営業時間7:00~17:00
電話番号095-823-2663

山号分紫山(ぶんしざん)
宗旨黄檗宗
開基覚海(かくかい)
創建寛永5年(1628年)

福済寺(長崎市筑後町)、入口 (本堂(大雄宝殿)に邪気が直接入るのを防ぐ唐寺特有の魔除けのための伽羅配置)
福済寺の入口

駐車場あり

路面電車のアクセス

(※距離50m、徒歩10分)

「御朱印」

福済寺(長崎市筑後町)、御朱印

納経料は300円です。

御朱印を拝受される際に玄関で拝観した、戦前の福済寺から一望する長崎の風景絵がそれももう息を飲む素晴らしさでした。


それでは、境内を巡りましょう。


福済寺 【境内巡りマップ】~写真付き

現地到着後に活用ください。

【1】「文殊般若の門」・「普賢法界の門」・「鎮魂の鐘」

「文殊般若の門と普賢法界の門の双門」

福済寺(長崎市筑後町)、文殊般若の門(通称:智恵の門)
「文殊般若の門」
福済寺(長崎市筑後町)、普賢法界の門(通称:清浄門)
「普賢法界の門」
福済寺(長崎市筑後町)、文殊般若の門(通称:智恵の門) 福済寺(長崎市筑後町)、普賢法界の門(通称:清浄門)

禅宗寺の山門とは趣を異にしたエキゾチックな意匠は、参拝者の興味を一気に引き寄せます。

「文殊般若の門」(通称智恵の門)とは?

文殊菩薩は獅子に乗り智慧(恵)を代表する菩薩といわれています。

楼門の中央に如意棒をくわえた獅子の面あり、知恵の門といいます。

門をくぐると知恵が増長するといわれ人々によろこばれています。

「普賢法界の門」(通称清浄門)とは?

普賢菩薩は白象に乗り定行(修業と善行)を代表する菩薩といわれています。

楼門の中央に經巻を鼻に戴き信仰は力なりと表現する象の面あり清浄の門といいます。

✔以上、現地の説明版からの引用です。

福済寺(長崎市筑後町)、鎮魂の鐘 福済寺(長崎市筑後町)、鎮魂の鐘

文殊般若の門と普賢法界の門の双門は、鐘楼も兼ねており、屋上には「鎮魂の鐘」が吊られています。

鎮魂の鐘:

鐘楼を覆う鉄のわん曲は原子雲を意味し、最上段のO型は原爆死没者7万余人が一団となって往生安楽する楽園の姿をイメージしています。

原爆が炸裂した午前11時2分に、7万余人への鎮魂を込めて毎日7打する、原爆慰霊の大鐘です。

※鐘撞き希望の方は、11:00頃に現地に集まれば、先着1人1打、7人まで撞けるとのこと。

福済寺(長崎市筑後町)

鐘楼からは、福済寺の伽藍が一望できます。

【2】「大雄宝殿」

福済寺(長崎市筑後町)、被爆蘇鉄

昭和27年(1952)に、大書院跡地に建てられた本堂兼庫裡です。

被爆遺構(羅鑑像、蘇鉄)

福済寺(長崎市筑後町)、羅漢像

福済寺(長崎市筑後町)、羅漢像 福済寺(長崎市筑後町)、被爆蘇鉄 福済寺(長崎市筑後町)

大雄宝殿前には、原爆によって瓦礫の山となった福済寺境内で残った「石造の羅漢像」と「蘇鉄」が物言わぬ証言台として原爆の愚かさを今に伝えます。

原爆が投下された大空を見上げる羅漢像。その空虚な表情からは何を訴えているのでしょうか……。

【3】「長崎観音」~もう一体の平和祈念像

福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音

福済寺(長崎市筑後町)、狛犬 福済寺(長崎市筑後町) 福済寺(長崎市筑後町)

まずは正面から眺めてみましょう。どこかユーモラスな狛犬一対に、水子地蔵が鎮座しています。

福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音

側面からだとややシュールな趣に。

霊亀に前肢が付いているのがお分かりになりますか?

福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音

「万国霊廟長崎観音」(ばんこくれいびょうながさきかんのん)

高さ 地上35メートル

重量 観音像35トン

亀と観音像について

仏の使徒「霊亀」に立位する「慈母観音像」(長崎観音)は、人々の願いを亀万年に至っても必ずかなえて下さるという慈悲と施しの心を表現しています。

観音像が結んだ左手の印は慈悲心を、右手の印は甘露水を興える布施の心を示しています。

またそれとともに、水を求めて息絶えた爆死者へ、左手の印で安眠を、右手の印で甘露の水を施して慰霊を願っています。

つまり、

慈悲とは苦を抜き楽を与える事であり布施とは福利を人に与える事であります。

慈悲心と布施の心が私たちの心であるならば、祈願する諸々のお願いごとは全て成就するであろうと論され、この心こそ世界恒久平和を願う人類皆んなの心でなくてはならないと論されているのです。

説明版からの引用より

これこそ「福済寺の平和祈念像」が世界へ諭す理念そのものといえるでしょう。

福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音と童子 福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音と童子

観音像の周りには、「過去・現在・未来」を示唆する、ひざまずく3体の童子像が合掌しています。

✔2021年1月現在、撤去されています。

【4】「長崎観音周辺の見どころ」

【原爆遺構】「片耳が焼け落ちた雲版」と「上半身が吹き飛ばされた地蔵」

福済寺(長崎市筑後町)、片耳が焼け落ちた雲版 福済寺(長崎市筑後町)、片耳が焼け落ちた雲版

福済寺(長崎市筑後町)、首が吹き飛ばされた地蔵

福済寺の原爆遺構その2。

「高熱で片耳が焼け落ちた雲版」(食事の合図に使った鐘)と、「爆風で上半身が吹き飛ばされた地蔵」です。

7堂伽藍が壊滅した原爆投下直後の地獄絵図が想起されます。

戦艦陸奥の遺材

福済寺(長崎市筑後町)、戦艦陸奥の遺材(砲台の一部)

竣工当時は世界最大級の戦艦だった「陸奥」。その主砲装甲の一部です。

庭園

福済寺(長崎市筑後町)、庭園
福済寺(長崎市筑後町)、庭園 福済寺(長崎市筑後町)、庭園

境内西側に、稲佐山を遠くに望める庭園が広がっています。

「世界平和の碑」と「常夜燈」

福済寺(長崎市筑後町)、世界平和の碑(北村西望筆) 福済寺(長崎市筑後町)、常夜燈

平和祈念像の製作者、北村西望氏筆による「世界平和の碑」と、かつては港そばだったことを物語る「常夜燈」です。


✔次は、萬国霊廟長崎観音内へ参拝に入ります。


【5】「戦前の福済寺を並べた写真展」

福済寺(長崎市筑後町)

福済寺(長崎市筑後町)、戦前の福済寺 福済寺(長崎市筑後町)、戦前の福済寺

福済寺(長崎市筑後町)、原爆

霊廟内でまず目に留まるのが、戦前の福済寺を収めた貴重な写真群です。

四福寺一のスケールを誇った7堂伽藍の在りし日姿が甦ります。

その貴重な伽藍が瓦礫の山と化した最後の写真は、戦争の愚かさ、原爆の非道さをリアルに訴えています。

【6】「鉄兜の慰霊碑」

福済寺(長崎市筑後町)、鉄兜の慰霊碑 福済寺(長崎市筑後町)、鉄兜の慰霊碑

廟内東側にある「鉄兜の慰霊碑」では、戦艦陸奥の遺材で鋳造した鉄兜を慰霊碑として、南太平洋の激戦地で収集した遺骨16,500柱のご分骨と多数の遺品を祀っています。

このように萬国霊廟とは、原爆殉難者とともに、太平洋戦争で殉ぜられた戦没者を「みたま」を祀る、慰霊と鎮魂を祈る聖域です。

【7】「フーコーの振り子」

福済寺(長崎市筑後町)、フーコーの振り子

福済寺(長崎市筑後町)、フーコーの振り子 福済寺(長崎市筑後町)、フーコーの振り子

御本尊前から観察できる「フーコーの振り子」。フランスの物理学者フーコーが、地球の自転を証明するために、1951年パリのパルテノン寺院で実験したことで世に知られるようになりました。

福済寺のものは、吊り糸の長さが25メートルと日本最長級を誇り、長崎観音の頭部から地下室まで伸びています。

ところで、読者のなかには、「なぜ慰霊と鎮魂のための霊廟にフーコーの振り子が?」との疑問が湧くかもしれません。

その答えは、福済寺の冊子につづられた、

霊廟内地下室のフーコーの振り子は「地球が動いている」ことの歴史的な実証の再現と、あわせて、この永遠に動き続ける地球とともに、私たち人類も「永遠に平和であること」への願いをこめて設置されたものです。

の文に求められます。

【8】墓地からの絶景

福済寺(長崎市筑後町)、福済寺の唐通事潁川(陳)家墓地 市指定史跡
「唐通事潁川(陳)家墓地」(市指定史跡)

 
福済寺(長崎市筑後町)、福済寺の唐僧墓地 市指定史跡 福済寺(長崎市筑後町)、唐人の墓地
「福済寺の唐僧墓地」(市指定史跡) 「唐人合葬墓地」

境内の背後には、長崎の代表的景観である「斜面に広がる墓地」が続くので、足を伸ばしてみましょう。

広大な墓地に散在する「唐通事潁川(陳)家墓地」、「福済寺の唐僧墓地」、「福済寺の唐僧墓地」が原爆投下前の面影をわずかに残します。

福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音と夕日福済寺(長崎市筑後町)の長崎観音と夕日

柔和な表情で、原爆から復興を遂げた街並を見守る長崎観音。

灰色一色に染まった境内に建立された、この平和と反戦をシンボルが、戦争によって倒壊することのない未来を実現することが、被爆都市長崎で生まれ育った者の務めだと肝に強く銘じます。

分紫山福済寺 まとめ

もう一対の平和祈念像が問い掛けるもの

たった一発の爆弾によって、国宝7堂伽藍が一夜で廃墟と化した福済寺。関係者の慟哭は、察するに余り有ります。

昭和54年(1979)に誕生した「霊亀に乗った長崎観音」は、世界平和と原爆殉難者の慰霊を万年にわたって祈念するために、今日も静かにたたずみます。

本稿の執筆、すべての写真撮影(マイマップの写真含):当管理人

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長崎三福寺の一つ福済寺は 鎮魂と平和を願う寺院となっていました。
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