「興福寺」(長崎)~隠元ゆかりの唐寺【境内巡りと御朱印を紹介します】

興福寺(長崎市寺町、唐寺)
ランタンフェスティバルの興福寺(長崎市寺町、唐寺) 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の山門(あか門)の雪化粧

長崎ランタンフェスティバル(興福寺)の龍踊り 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿、寳瓶(ほうびん)鬼瓦と飾り瓦の獅子

長崎観光には、是非「日本の中の中国」【興福寺】へ

長崎市寺町にある「東明山 興福寺」は、江戸時代初頭の寛永元年(1624年)に、中国僧の真円により創建されます。在留華僑がキリスト教でない証しとして建立された「唐寺」(とうでら)で、「長崎四福寺」の一山に数えられます。

在留華僑が日中貿易で得た財を惜しみなく寄進した「興福寺の伽藍」は、国指定重要文化財「大雄宝殿」(本堂)を始めとして、「山門」、「媽姐堂」、「鐘鼓楼」とすべてが黄檗美術・和風建築の粋を尽くした絢爛豪華な造り。

そして、移築物である「中島聖堂遺構」と「旧唐人屋敷門」も大変貴重な文化財です。

以上のように、鑑賞価値・文化財的価値に富む「興福寺」ですが、観光客は案外スルーしがち。

長崎特有となる異文化のるつぼを表現した「和華蘭文化」。その中華の要を「長崎四福寺」が担っています。

その「長崎四福寺」のなかでも最古の歴史をほこる「東明山 興福寺」。その数奇な歴史と魅力について解説します。

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【アクセス】拝観者用の駐車場について

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の駐車場

山門前に3台分が確保されています(無料)。駐車した際には、受付の方に申告してください。

※山門前の道路は一方通行なのでご注意を。

「駐車場の位置」、「予備の有料駐車場の位置」、「一方通行道路の進入路」のルートマップです。

路面電車でのアクセス方法はコチラで

「御朱印」について

興福寺(長崎市寺町、唐寺)

当日はご住職が不在で、ランタンフェスティバル仕様の御朱印をいただきました。中国では招福を意味する「逆さ福(倒福)」がひときわ個性的です。

興福寺(長崎市寺町、唐寺)

「御朱印」は、「大雄宝殿」(本堂)横の納経所でお願いできます。初穂料は500円です。


それでは、境内を巡りましょう。


興福寺 【境内巡りマップ】~写真付き

現地到着後にご活用ください。

【1】「山門」(あか門)

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の山門(あか門)

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の山門(あか門)、梁上の扁額「東明山」 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の山門梁上(内側)の扁額「初登宝地」 隠元禅師筆

寛文3年(1663年)の長崎大火で消失した初代の山門に代わり、元禄3年(1690年)に日本人工匠によって再建されたものが現在に残る通称「あか門」です。

日本人工匠による入母屋造単層屋根は、長崎一を大き誇る豪壮な造りとなっています。興福寺の異名「あか寺」は、総朱丹塗りの山門に由来し、ある意味興福寺のシンボルともいえるでしょう。

山門上部に掲げられた扁額「初登宝地」と「東明山」は隠元禅師の筆によるもの。

「興福寺山門」は、県指定有形文化財。

「長崎四国八十八ヵ所第78番霊場」

興福寺(長崎市寺町、唐寺) 興福寺(長崎市寺町、唐寺)

山門の前には、「長崎四国八十八ヵ所第78番霊場」となるお堂があります。お堂のなかの弘法大師を守護する狛犬ならぬ、狛ニャンコ。

【2】「中島聖堂遺構」

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の紫陽花季(あじさい)、興福寺(長崎市寺町、唐寺)の中島聖堂遺構
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の中島聖堂遺構大学門(県指定有形文化財) 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の中島聖堂遺構大学門(県指定有形文化財)

東京の湯島聖堂、佐賀県の多久聖堂とともに「日本三聖堂」の一つに数えられる「長崎聖堂」。同聖堂は、儒者向井元升が、正保4(1647年)に私財を投じて聖堂・学舎を創設したことに端を発します。

正徳元年(1711年)に中島川沿いに移り、一般には「中島聖堂」と呼ばれました。

明治元年(1868年)に廃滅。昭和34年(1954年)に、大学門(杏檀門)と規模縮少した大成殿を、興福寺境内に移築し現在に至ります。

※大学門には、中国では縁起の良いとされるコウモリの穴がデザインされているので探してみてください。

「中島聖堂遺構大学門」は、県指定有形文化財。

【3】「三江会所門」

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の三江会所門 (県指定有形文化財)
興福寺(長崎市寺町、唐寺) 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の三江会所門 (県指定有形文化財)、豚返しの敷居

三江会所門:檀家に、三江地区(江南、浙江、江蘇)出身が多い興福寺は別名「南京寺」と呼ばれました。

その三江出身者による三江会の集会所が明治11年(1878年)に設立され、「三江会所」と呼ばれる事務所が置かれました。しかし、1945年の原爆で大破し、撤去されてしまいます。

そのため現在では「三江会所門」のみが現存。細部に用いられている純中国式の建築技法を特徴とします。

唐人さんの寝棺:三江会所門内に安置されている唐装飾が施された木棺。生前に自らの棺桶を自室に建て掛けるのが漢民族の習わし。

豚返しの敷居:三江会所門入口に設けられた高い敷居は「豚返し」と呼びます。放し飼いにされていた豚が門内に侵入できないための仕組みで、人が出入りできるよう、二段式で上部が取り外せます。

古来より、豚を主な動物性たんぱく源としてきた漢民族ならではの知恵です。

「三江会所門」は、県指定有形文化財。

【4】「東明燕」(庭園)

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の庭園(東明燕)
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の庭園(東明燕) 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の庭園(東明燕)

三江会所門をくぐると、手入れが行き届いた見事な庭園が視界に入ります。

「東明燕」(とうめいえん)と命名されたこの小庭園は、三江会所跡に造成されたもの。江戸時代に造られた黄檗池、竹林、ツツジが織りなす庭園は、ため息が漏れる異空間です。

【5】「大雄宝殿」(本堂)

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿

興福寺の大雄宝殿は、寛永9年(1632)第2代住職・黙子如定によって呱々の声をあげます。その後、大火や天災の惨禍から、幾度もの再建を繰り返してきました。

現在のものは、明治16年(1865)建立で、中国人工匠に手による明清風の建築物。資材も中国より運送したこだわりようです。

朱を基調とした華麗な彩色、隅屋根の強い反りなど中国南方建築の特徴が色濃い意匠は、戦前では国宝に、現在は国の重要文化財に指定されています。

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿、ジャバラ型黄檗天井 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿、氷裂式組子の丸窓

1945年8月9日に投下された原爆は、爆心地から4キロ離れた興福寺にも甚大なる被害をもたらし、「山門」は大破、「三江会所」は倒壊します。

「大雄宝殿」も猛烈な爆風のため、うしろへ少しずれて傾きます。倒壊こそまぬがれましたが、柱が傾いているのが明確に見てとれます。

「黄檗天井」:蛇腹に組まれた前廊の舟型天井。

「氷裂式組子の丸窓」:氷裂式組子は、明末期を代表する建築様式で、文字通り氷を砕いたような文様となっています。

組子の裏側全体は元々は色ガラス張りで、日が差し込むとステンドグラスのような美しさでした。

しかし原爆によってガラスはすべて吹き飛ばされてしまいます。戦後の修復工事の際にも、ガラスで再生することは叶わず、板張りで修繕を終えました。

関係者の無念はいかばかりのものだったか、察するに余り有ります。

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿、扁額 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿、扁額

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿

大雄宝殿の正面に掲げられた『大雄宝殿』、『萬載江山』、『航海慈雲』の扁額。『大雄宝殿』の扁額は、当初は隠元禅師筆によるものでしたが消失し、現在は崇福寺の複製です。

柱や梁に彫られた人物、鳥獣、花などの彫刻。惚れ惚れする巧緻さ。

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿、寳瓶(ほうびん)鬼瓦と飾り瓦の獅子 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の大雄宝殿、寳瓶(ほうびん)

屋根の鬼瓦も意匠性に富んでいます。魔を威嚇している狛犬は、恐ろしさより愛らしさが先立つ表情です。

大棟上に造られたひょうたん型の「瓢瓶」(ひょうへい)は、火除けのまじない。

「大雄宝殿」は、国指定重要文化財。

「金色の関帝(関羽)像」と「瑠璃燈」

「関帝像」:日本でも人気の高い三国志の英雄「関羽」。本場中国では商業の神として絶大な人気を誇ります。

興福寺の大雄宝殿内では、金色に輝く関帝像が安置されているので、三国志ファンは必見です(関帝像は崇福寺にもあります)。

「瑠璃燈」:堂内内中央に懸けてある 高さ2.18メートルの巨大な瑠璃燈は、中国工匠作となるガラス製の工芸品。市有形文化財。

※堂内は撮影禁止。

【6】「庫裡」 (くり)

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の庫裡 (くり)
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の庫裡 (くり) 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の紫陽花季(あじさい)

僧侶の居住する室内を「庫裡」(くり)と呼びますが、興福寺はお茶席として開放されています(和菓子付き900円)。

品よく飾りつけられた室内とそこから眺める黄檗池。静寂に包まれた空間からは、心和むひと時を過ごせます。

※素足での入室はできません。

飯梆(魚板・鱖魚)

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の飯梆(はんぼう) 、魚板・鱖魚(けつぎょ) 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の飯梆(はんぼう) 、魚板・鱖魚(けつぎょ)

「庫裡」の軒下にかけてある時を告げるために叩く板の魚を「飯梆(はんぼう)」もしくは「魚板」と呼びます。

興福寺の飯梆は、揚子江に棲息するという不老長寿の「鱖魚(けつぎょ)」で、雄雌一体の大変珍しいもの。

長崎では、「崇福寺」、「聖福寺」にも吊るされているので、見比べてみるのも一興です[1]県外では、山口県萩市の名刹「護国山東光寺」にかかっていました。

【7】「旧唐人屋敷門」

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の旧唐人屋敷門

元禄2年(1689)、中国人を隔離するための唐人屋敷が十善寺郷御薬園跡に造成されます。この「旧唐人屋敷門」は、その唐人屋敷に遺存していた「唐人住宅門」を興福寺境内に移築したもの。

天明4年(1784)の大火以降に建てられた純中国式建築様式で、極めて貴重な遺構です。

「旧唐人屋敷門」は、国指定重要文化財!(国宝に次ぐ価値を有するもの)。

【8】「鐘鼓楼」

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の鐘鼓楼
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の鐘鼓楼の鬼瓦 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の鐘鼓楼の鬼瓦

1663年(寛文3)長崎大火で伽藍が全焼したあとの元禄4年(1691年)に再建。さらに享保15年(1730年)に重修。

この時の棟梁は高木弥源太・同久治平ですが、興味深い工夫が鬼瓦に施されています。それは、「福は内、鬼は外」を意味する、「外向きが鬼面」で、「内向きを大黒天像」とした特異な配置。この日本人ならではの工夫をお見逃しなく。

鐘鼓楼の上階に吊られていた梵鐘は、戦時中に供出され消失。階下は、禅堂に使用されました。

「鐘鼓楼」は、県指定有形文化財。

【9】「媽姐堂」

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の媽姐堂 (県指定有形文化財)
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の媽姐堂 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の媽姐堂

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の媽姐堂 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の媽姐堂

中国南部で篤く信仰される航海の神「媽祖像」を祀る「媽祖堂」は、創建年は不明ながら、寛永10年(1670年)前なのは確実視されています。

元来仏教とは無関係の「媽祖堂」が伽藍を構成しているのが唐寺ならではです。

和風建築を基調としながらも、「隅屋根の反り」、「黄檗天井の前廊」、「内外装の鮮やかな朱丹塗」などの中国様式が違和感なく溶け込んだ重厚な造りとなっています。

媽祖堂は拝観後は、堂内に安置された金色の媽祖像にご参拝ください(撮影禁止)。

「媽祖堂」は、県指定有形文化財。

長崎ランタンフェスティバル(興福寺)の媽祖行列

長崎ランタンフェスティバルでは、開催期間中の日曜日に、江戸時代の長崎で催された「媽祖行列」が興福寺(と長崎孔子廟)で再現されます。

歴史絵巻を再現した絢爛豪華な儀式を、是非見物ください。

入山の記念に

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の土産
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の土産 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の土産

お帰りには、山門前に「こうふく饅頭」や「お守り」などが販売・授与されています。興福寺入山の記念に是非どうぞ。

招き猫おみくじを引いてみました【お守りとして】

興福寺(長崎市寺町、唐寺)のおみくじ 興福寺(長崎市寺町、唐寺)のおみくじ

金運・商売繫盛にご利益のある金の招き猫を入っていました。財布に入れて、大切に保管しています(おみくじの運勢は吉でした)。

招き猫おみくじ:7つの色に分けた、28種類の招き猫がおみくじとともに入っています。

「興福寺の普茶料理(ふちゃりょうり)」について

興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理
興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理 興福寺(長崎市寺町、唐寺)の普茶料理

隠元禅師が日本にもたらした黄檗文化の一つ「普茶料理(ふちゃりょうり)」。動物性たんぱく質を一切用いない中国式の精進料理で、季節の野菜、果物、大豆を調理し、幼長男女身の分け隔てなく、数人ずつを円卓を囲んで親睦を深めます。

胡麻油を使った炒めや揚げの調理技法を多用するのが、中国由来ならではの特色。

写真左上の料理は、「飛龍頭」、「中夜揚げ」でそれぞれがんもどき、鰻の蒲焼を模したいわゆるもどき料理。精進料理未経験の筆者は興味津々でいただきました。

ごま油を多用しているので、肉魚類がなくともコク豊かなコース料理となっています。

  1. 申し込みは10名以上から。金額は要相談。
  2. 最低2~3週間前の要予約制。
  3. 提供できる時期:1月~5月中旬、10月~12月(年末年始と夏場はお休み)。
※筆者は2011年の「長崎さるく」の企画に参加しいただきました。

「東明山興福寺 まとめ」

興福寺を含む長崎四福寺は、世界遺産級の価値があります

あくまで私見ですが、筆者はこの考えを信じて疑いません(原爆による福済寺の伽藍焼失が悔やまれますが)。

四福寺の「文化財としての比類なき価値」、「隠元禅師の渡来から日本への黄檗文化の伝播」、「日中の文化交流に果たした功績」など、人類史の視座から俯瞰しても、世界遺産に値する貢献を成しています。

この長崎四福寺のなかで、最も古く、そして隠元禅師との縁が最も強い「東明山 興福寺」を、より多くの方に拝観していただきたい旨を伝えて、筆を置きます。

基本情報

所在地長崎市寺町4-32
拝観料
  1. 大人:          300円
  2. 高・中学生: 200円
  3. 小学生:       100円
※15名以上からの団体割引あり

拝観時間9:00〜17:00(年中無休)
問合せ℡:095-822-1076

参考文献・サイト:

• 長崎市役所編、『長崎市史 地誌編 地誌編仏寺部 下』、長崎市、1938年

• 五木寛之、『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』、講談社、2009年

• 長崎県教育委員会、『中国文化と長崎県』、長崎県文化団体協議会、1989年

• 長崎文献社、『旅する長崎学16 中国交流編Ⅵ唐船来航の道』、長崎文献社、2012年

東明山 興福寺[公式]

長崎県の文化財 興福寺三江会所門

長崎県の文化財 興福寺媽姐堂

長崎市│中島聖堂遺構大学門

長崎市│興福寺山門

本稿の執筆、すべての写真撮影:当管理人(※画像・文章の無断転載を固くお断りします。転載については必ずこちらをお読み下さい。

脚注・出典   [ + ]

1. 県外では、山口県萩市の名刹「護国山東光寺」にかかっていました。
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