
長崎市内には、原爆にまつわる桜が、いくつか存在します。
「永井千本桜」はその一つで、浦上の聖人と敬愛される長崎医大の医師・永井隆が、灰色の街となった浦上を桜で埋め尽くそうと、著作で得た印税から約1200本のソメイヨシノの苗木を購入。
1948年に住民が協力して、原爆で灰燼と化した浦上天主堂、山里小学校、城山小学校などに植樹したのが、いわゆる「永井千本桜」になります。しかし、宅地開発や台風災害などで、次第に数を減らし、現在では20数本にまで激減しました。
本稿では、浦上天主堂に咲く永井千本桜を紹介します[1]他に「長崎市立山里小学校」、「長崎市立城山小学校」、「国立長崎大学医学部」 。
教会を訪れる際は、以下を参考にして、見学マナーを必ずお守りください。
ソメイヨシノ開花速報【2022】
- 長崎県 〈開花!〉 3月22日(火)
- 〃 〈満開〉予想 3月30日(水)
見頃前後の土日は?【2022】(※予想に基づく)
- 3月26日(土)
- 3月27日(日)
- 4月2日(土)
- 4月3日(日)
「永井千本桜」は、天主堂敷地の北西部で咲き誇ります
浦上天主堂の永井千本桜は、数えるほどになってしまいました。
のんびりと桜を眺められる日常が、いかに尊いものか。かつて地獄絵図したこの地で、懸命に花を咲かせる老木が、その尊さを無言で訴えているかのように思えます。
進む代がわり

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浦上天主堂の正面に建つ「カトリックセンター」の敷地に、原木から枝取りした若き息吹が生長しつつあります。
浦上の丘が、再び永井千本桜で埋め尽くされる日を願ってやみません。
「如己堂」へは歩いていけます

永井隆が晩年を病床で過ごした二畳一間の小庵「如己堂」は、現存しており、浦上天主堂から距離650メートル、徒歩10分で着きます。
「如己堂」の名は、聖書にある「己の如く人を愛せよ」に由来。永井隆はこの如己堂で、1951年5月1日に天に召されるまでの間、「長崎の鐘」「この子を残して」などあまたの執筆活動に邁進。危篤状態に陥るまで、反戦、平和、隣人愛を世に訴え続けました。
如己堂の桜「御衣黄桜」

永井隆の故地、島根県三刀屋から寄贈された「御衣黄桜」が、永井千本桜(ソメイヨシノ)から2週間ほど経った4月上旬から中旬に、如己堂で見頃を迎えます。
緑黄色の花を咲かせる珍しい桜で、贈呈先の島根県三刀屋は一大産地として有名。「如己堂」の他にも、「長崎市立山里小学校」、永井隆が眠る「坂本国際墓地」、「三ツ山救護所跡」と氏ゆかりの土地に植樹されています。
「浦上天主堂の永井千本桜」 まとめ
代がわりの進む「永井千本桜」。原木が健在なうちに、我が子を連れて見学に訪れてもらえないでしょうか。
そして、病床に伏しながら、平和と隣人愛を訴え続けた永井博士の鋼の意思を伝えてもらえたら幸いです。
※「浦上天主堂」に、見学者用の駐車場はありません。近くの有料駐車場に停めてください。※「如己堂」には、無料駐車場あります。
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↑ 1. | 他に「長崎市立山里小学校」、「長崎市立城山小学校」、「国立長崎大学医学部」 |