サクッと魅力まとめ❢
時間ナシの人は、ここを赤丸チェック
観光客への休憩所として、無料開放されている。館内には居住地時代の資料や古写真、映像作品が展示されており見学可能。
トイレ、自販有。鍋冠山公園まで徒歩ルートでは、同公園を含めここが最後の自販設置ポイント。【入園時間/9:00~17:00】
庭園前の小公園と裏門の2か所は、坂と港の町・長崎らしさ満載のビューポイント
本文
序章
創建が幕末の1864年(元治元年)から1865年(慶応元年)と、長崎居留地の建築物としては最も古い部類にはいる。
垂直エレベーターの登り口から視界に入らないため、入園者の乏しいマイナー観光スポット。でもですね、ほっこり名所として魅力的なんです。このグラバーゆかりの古い洋館は。
歴史
建築主は不明ながら、グラバー商会の関係者と推測されている。最初にここで暮らしを営んだのはトーマス・B・グラバーの弟、「アレクサンダー・J・グラバー」[1]南山手レストハウス内展示の説明版 。
次の所有者は、若き炭鉱技師「ジョン・M・ストダート」。この若き英国人には、当館にまつわる次のような悲話が残されている。
グラバーに招聘されて以後は、九州各地に炭鉱を開設するなど辣腕をふるうストダート。しかし不幸にも上海で流行性感冒にかかってしまう。長崎に寄港したときは、既に瀕死の状態。しかし彼は仲間が制止するのも耳を貸さず、船を降りて祈念坂をひたすらのぼる。理由はただ一つ。館で彼の帰りを待つ妻のもとへ戻るためだけに。その翌日、彼は愛妻の腕のなかで神に召された。[2]古いさるくブック。表紙が欠損していて書名は不明
その後、1899年(明治32)からは、所有者は清水氏などに移り変わる。 1990年10月に伝統的建造物として指定をうける。その2年後に、長崎市が土地・家屋を購入し公有化される。翌年から3年間にわたって保存修理工事をおこない、1995年を改修を終えた[3] 参考 長崎市│長崎市南山手レストハウス 。 | ||
祈念坂 |
建築上の特徴
外装
外壁は、当時の西洋でもっとも高級な建築技法とされた石造り。石材は砂石系の天草石で赤みがかっている。
正面のテラスの柱は木製。東側のテラスでは石製と異なっているのが特徴。東側テラス列柱の擬宝珠(ぎぼし)が印象的。
屋根瓦と煙突。和洋折衷の建築要素が違和感なく取り入れている。同じ南山手の旧グラバー住宅や大浦天主堂と共通の特徴。
内装
館内では、居住地時代の内装と生活器具が復元されている。館内をまわれば、当時の暮らしをしのぶことができる。
必見point
- 「裏口(正式には正門)からの景観」大浦天主堂と大浦教会との2本の尖頭。その先に長崎港をパノラマ状に一望できます。
- 「庭園のバラ」
可憐に咲く姿に、訪れた人のこころを和ませてくれます。特に5月と秋は必見。同じバラの名所・グラバー園とともに香りを楽しみながら巡ってください[4]やや距離はありますが、同じ居留地の洋館「東山手十二番館(旧居留地私学歴史資料館)」にもバラが植栽されています。 。
ほっこり名所として
隣接するグラバー園の喧騒とは対照的な、ゆるやかな時間がここでは流れています。景観やバラをのんびりと眺めるのもよし。建物や資料を見聞し、歴史ロマンに浸るのもそれもよし。
ここと祈念坂には、居住地時代の面影が色濃く漂っています。グラバー園・大浦天主堂の路地裏での粋な歴史探訪をお楽しみください。
基本情報
所在地 | 長崎県長崎市南山手町7-5 |
入園時間 | 9:00~17:00 |
料金 | 無料 |
定休日 | 年末年始/12月29日~1月3日 |
創建 | 1864年(元治元年)から1865年(慶応元年)と推定 |
設計・施工 | 不明。建築主はグラバー商会かその関係者 |
建築技法 | 石造り、平屋建て |
備考 | 伝統的建造物群保存地区内の伝統的建造物に指定 |
脚注・出典
↑ 1. | 南山手レストハウス内展示の説明版 |
↑ 2. | 古いさるくブック。表紙が欠損していて書名は不明 |
↑ 3. | 参考 長崎市│長崎市南山手レストハウス |
↑ 4. | やや距離はありますが、同じ居留地の洋館「東山手十二番館(旧居留地私学歴史資料館)」にもバラが植栽されています。 |