時をさかのぼること寛永5年(1628)に、唐津出身の南岳院存裕(なんがくいんそんゆう)が伊勢神宮外宮を訪ね、伊勢神宮の分霊を勧請しました。
そして翌6年(1629)に、伊勢外宮から分霊奉斎の許状が下され、同16年(1639)に仮宮殿を創建。祭祀を行い伊勢宮(いせのみや)と改称したのが、同宮の起こりです。
以来、長崎奉行や市民からの寄進により、社地拡張、社殿や鳥居の新築など、長崎有数の大社としての品格を整えていきます。
明治34年(1901)には、長崎県下で初めて神前結婚式が行われたことで、歴史に名を残した伊勢宮。
以下、長崎史を彩る同宮を、美しい写真とともにご案内します。
✔写真は過去に撮影したものです。
また閑静をみだす行為は厳につつしみ、参拝作法とマナーをお守りください。
【初詣の御朱印】を拝受いたしました
元旦の繁忙期に墨書きしていただき感謝の極みです。伊勢宮の紋章「大一」の力強い文字がひときわ印象的です。
初穂料500円。
場所は?
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中島川沿い、高麗橋正面です。 眼鏡橋から750m、諏訪神社から450m先に位置しています。住所:長崎県長崎市伊勢町2-14 |
駐車場あり
拝殿前に数台分のスペースがあり。
路面電車でのアクセス
最寄りの電停:「諏訪神社」
※距離130m、徒歩2分。
ご祭神
- 天照大御神
- 豊受大神
- 素戔男大神
例大祭
例年11月1日~3日。長崎で唯一の「浦安の舞」が奉納されます。
それでは、境内を巡りましょう。
【1】「高麗橋」と「伊勢宮」
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正門の正面に架かる「高麗橋」は、承応元年(1652)、中国人の浄財によって初めて架橋され、当時の町名「新高麗町」にちなんで、西道仙より「高麗橋」と命名されます。
昭和57年(1982)に生起した長崎大水害後の河川改修のため、「昭和の石橋(外見は石橋だが、その実は鉄筋コンクリート造)」として再架され、今に至ります。

【2】「一の鳥居」・「正門」・「狛犬」

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【3】「二の鳥居」

二の鳥居は、伊勢神宮の宇治橋鳥居を彷彿させるヒノキ造。2019年の式年祭を機に、40年ぶりに建て替えられました。
宇治橋に該当するのが、さしずめ高麗橋でしょうか。
【4】「拝殿」

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料亭花月が寄贈した「大一と刻まれた灯籠」と、拝殿内に掲げられた「江戸末期に奉納された三十六歌仙絵」は必見です。


【5】「楠稲荷神社」・「クスノキの巨木」
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このクスノキですが、「その昔、母乳がでない母親が、クスノキの幹に穴に米のとぎ汁をかけて祈ると、母乳がでるようになった」との伝承が残ります。
以来、安産祈願への参拝客が途絶えることがない、霊験あらたかなご神木です。
【6】「本殿」と「境内社群」

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さらに奥へ進むと、鷺神社などの末社と本殿が姿を現します。
ご神木の木漏れ日から垣間見れる神宿る本殿。その神々しい雰囲気から心の癒しをいただき、感謝の意を申し上げて境内を後にしました。以上になります。コンパクトな境内ながら特色に富む、「長崎の伊勢宮」を是非ご参拝ください。
参考文献・サイト:
• 林田 秀晴、『長崎県の神社を訪ねて 本土編』、出島文庫、2004年
•ナガジン!|シャッターチャンス@長崎 長崎の宗教史を垣間見る風景「伊勢宮神社」です。
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