※1ページ目は見学・礼拝ガイドとして。2ページ目は、読み物・専門資料としてお役立てください。(最初から2ページ目を読む方 2ページ目(本文) )
本文の最後では、善長谷の丘からの奇跡の夕景ショーをお届けします。お楽しみに!
見どころ ~善長谷(ぜんちょうだに)の心震える魅力
1.教会堂について
当地で最初に教会堂が建てられたのは、1895年(明治28)のこと。現在のものは、1952年(昭和27)に再建されました。
外壁を純白とワインレッドであしらった、愛らしい小教会です。
2.「アンジェラスの鐘」と「ルルド」について
小さなアンジェラス(天使)の鐘が吊られたクスノキ。この小鐘は刻(とき)をつげる音色を毎日奏でています。このおとぎ話のような牧歌的な情景には、だれもが感銘をおぼえます。
竹林から光沢がもれる幻想的なルルドがあります。1957年からルルド出現100周年にあわせ、1年半もの年月を要し、大変な労苦の末に建立されたものです。
(ルルドへは、駐車場奥からの道が安全上おすすめです[案内板有。徒歩数分])
3.「奇跡の夕景」がココにはある!
日中の絶景:突き抜ける青空と大海原の一大パノラマ。大海原には、ミニチュアのような世界遺産の軍艦島(端島)が浮かんでいます。
感極まる夕景:夕刻になると、えもいわれぬ美しい夕陽が、大空と大海原をオレンジに染めあげます。 この刻になると、時間がたつのを忘れて、ただただ名画のような夕景に見とれてしまいます(戦艦状の島は、軍艦島です)。
4.隠れキリシタンが紡んだ歴史
長崎市南西部の山中にひっそりとある善長谷の里。かつては隠れ(潜伏)キリシタン[1]俗にいう「隠れキリシタン」とは、専門的には、江戸期の「潜伏キリシタン」と明治以降の「カクレキリシタン」に分類されます。本稿では、観光サイトとしての性格上、読者に混乱をまねかないように「隠れキリシタン」で通しました。
「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」が信仰したのは、正統的なキリスト教ではない。それは、江戸期の長い禁教時代に、キリスト教にくわえ仏教や神道の教義とが混淆した独自の土着宗教である、とだけここでは覚えておいてください。 の集落でした。
5.小説・映画の舞台として
善長谷は、多くの文豪たちを魅了してきました。遠藤周作やなかにし礼、さだまさしはその代表で[2]かの司馬遼太郎も訪ねて行きましたが、タクシーの運転手が場所が分からず断念したということです(参考:嬉野 純一、『わたしの好きな 長崎の神さま』、長崎文献社、2016年、50ページ)。 、かれらの作品(小説・映画)のなかで、 善長谷が登場しています。
※「善長谷が登場する小説・映画」は、2ページ目下部にまとめました。その故遠藤周作が小説『女の一生』一部のヒロイン、キクを弔う場所に選んだのが、この善長谷です。氏は小説のなかで、この教会前のクスノキの下にキクの遺髪を埋葬させます。薄幸な生涯をとじたキクの魂が、この美観を永遠に眺められるように。
見学・礼拝ガイド
基本情報
所在地 | 〒851-0302 長崎県長崎市大籠町519 |
料金 | 無料(※献金箱に寄付をお願いします。) |
駐車場 | [無料]あり |
拝観・開館時間 | 常時可能(団体は要予約) |
要チェックpoint!
- 教会を訪れる際は、以下を参考にして、見学マナーを必ずお守りください。
- 主日ミサ | 日曜日、午前7:00より約1時間※この時間から約1時間の間では、見学、特に内見はご遠慮ください(ほかに特別ミサや冠婚葬祭などの教会行事時を含む)。
信者以外でミサに参加希望の方は、カトリック長崎大司教区の説明を熟読ください。 ミサに参加したい方々へ カトリック長崎大司教区
- 問合せ
- 深堀教会 :℡095-871-3459 長崎市深堀町5丁目292
- 長崎巡礼センター:℡095-893-8763 長崎市尾上町1−88
交通アクセス
主な交通手段は「乗用車」、「路線バス」の2択。
後者は、降車バス停から教会まで訳2キロ離れているので、あまりオススメしません。
山中の分かりにくい場所にあるため、記事を熟読ください。
乗用車
距離約16キロ、所要時間40分のルートです。最も分かりやすく、道路幅も広い国道499号線を通ります。 道に迷ったら、地図上のルートと写真付きの注意ポイントとを確認してください。
路線バス(長崎バス)
路線バス利用の場合、最寄りのバス停「平山台団地」から善長谷教会まで、徒歩で約1時間(距離2.2キロ)の時間を要します。次ページより本文となります圧巻な絶景、愛らしい教会、隠れキリシタンにまつわる歴史など。 ラストの奇跡の夕景と併せてお楽しみください。
そして、ラストの光のカーテンをおびた幻想的な教会もお楽しみに!脚注・出典
↑ 1. 俗にいう「隠れキリシタン」とは、専門的には、江戸期の「潜伏キリシタン」と明治以降の「カクレキリシタン」に分類されます。本稿では、観光サイトとしての性格上、読者に混乱をまねかないように「隠れキリシタン」で通しました。
「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」が信仰したのは、正統的なキリスト教ではない。それは、江戸期の長い禁教時代に、キリスト教にくわえ仏教や神道の教義とが混淆した独自の土着宗教である、とだけここでは覚えておいてください。↑ 2. かの司馬遼太郎も訪ねて行きましたが、タクシーの運転手が場所が分からず断念したということです(参考:嬉野 純一、『わたしの好きな 長崎の神さま』、長崎文献社、2016年、50ページ)。