善長谷教会~遠藤周作が愛した【隠れキリシタンの里】

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【1】プロローグ

善長谷教会(長崎市大籠町)のルルド

長崎市南西部にそびえる深堀城山。その中腹に、かつて「善長谷」という隠れ(潜伏)キリシタンの集落が存在したことをご存じだろうか。

現在の善長谷は、愛らしい教会、竹林から光沢が漏れるルルドがあるカトリックの里となっている。

隠れキリシタンが織りなしたその数奇な歴史をつづりたい

【2】隠れキリシタンにまつわる歴史

善長谷教会近くにある隠れキリシタン、長谷川甚介・佐八の顕彰碑

善長谷教会横から山手に登るとすぐに「長谷川甚介・佐八之碑」と刻まれた顕彰碑がただ一基でたたんでいる[1]1933年(昭和8)、佐八屋敷跡に浜口繁吉氏によって建立。三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、717ページ

長谷川甚介とその子佐八。彼らとその家族こそ、善長谷のピルグリム・ファーザーズだ。 (巡礼始祖。迫害を逃れるため17世紀にかけてイギリスから新天地アメリカに渡った清教徒のこと)

かつて隠れキリシタンが住んでいた三重地区樫山町
現在の長崎市三重地区樫山町

三重地区樫山の隠れ(潜伏)キリシタンだった甚介ら6家族が、旅芸人を装いながら善長谷にたどり着いたのは、江戸時代後期の1823年(文政6)のことだ。

これがこのキリシタンの里の発祥となる。

俵石八幡神社の第一鳥居
今に残る俵石八幡神社の一の鳥居。かつて隠れキリシタンは、ここで新しい草履に履きかえてから神社へ参拝する礼をとっていた[2]・三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、720ページ
・中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館、1965年、208~209ページ

当地を領有する深堀鍋島家は、

  • 俵石八幡神社への祭礼参加と深堀鍋島家当主への水汲み役を果たすこと

  • 菩提寺の檀家となること

を条件として、彼らの信仰を黙認した[3]意味深におもえる善長谷の地名についてだが、西谷考氏によると、
1.ポルトガル語では異教徒のことを「ゼンチョ」と呼ぶのがその語源
2.そして、仏教徒を偽った善長谷の民が住む谷を意味して、ゼンチョと云うようになった、と論考している。
中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館 、1965年、208~210ページ

【3】隠れキリシタンの集落から、カトリックの里へ

善長谷教会(長崎市大籠町)

時がくだり1873年(明治6)、キリシタン禁制の法が解かれる。信教の自由をえた住民の半分は、伝道士瀬崎福一らの熱心な説得におうじてカトリックに復帰した[4]半数はカクレキリシタンとして、旧三和町岳路に移り住んでいる。1964年(昭和39)刊行の中尾 正美著の『郷土史「深堀」』では、八幡神社の祭礼は、彼らによって祀り継がれているとある。岳路のカクレキリシタンは、昭和10年代にはその活動を終えた。しかし、八幡神社の祭礼は、善長谷と岳路の人びとによって現在も続けられている。
詳しくは「(俵石)八幡神社」 ~隠れキリシタンに祀られた八幡様」を参照のこと。
なお「カクレキリシタン」については、1ページ目の脚注・出典の[1]を参照のこと
。そして、1895年(明治28)にこの地最初となる木造のカトリック教会を創建する。

これによってこの地は、隠れキリシタンからカトリックの里へとかわった。

時代は戦後へと移り、長い風雨にさらされた最初の教会が老朽化したため、1952年(昭和27)に現在の教会堂へと再建された。 キリストの母、聖マリアに捧げられた御堂は、「無原罪の聖母 カトリック善長谷教会」の名をたまわった。

【4】善長谷のルルド

善長谷教会(長崎市大籠町)のルルド

教会敷地の側面には、竹林から光沢がもれた静寂なルルド[5]ルルドとは
フランス南西部の小さな町ルルドでは、1858年以降、少女ベルナデッタの前にキリストの母、聖マリアが18回にもわたって降臨した。9回目に降臨した聖母は、ベルナデッタに洞窟でわく水での洗顔を指示する。その後、その水をのむと難病が治癒するともっぱらの評判となる。
「ルルドの泉」は、現在までに68回のこうした奇跡が起こったと公式にローマのバチカンが認定している。現在においてもルルド信仰は大変厚く、カトリックの一大巡礼地となっている。
このルルドを模した洞窟が、日本を含む世界中で建設される。日本最古のルルドは、五島列島・福江島にある井持浦教会のもので、1899年に開設される。長崎市内では、1932年に開設で、聖マキシミリアノ・コルベ神父ゆかりの本河内教会のルルドが有名(バチカン公式巡礼地)。
がある。 幻想的な空間のなかで、穏やかな表情のマリア像が、少女ベルナデッタの前に降臨している。

このルルドだが、大変な労苦の末にできたことが以下にうかがい知れる。

深堀町善長谷教会にルルドの建設が始められたのは昭和32年4月であった。 ルルドご出現100年の喜びと祈りをこめて、古川神父様と(中町教会の)信者たちは、冬は寒気に耐え、夏は炎暑にやかれて1年半余、延べ3700人の奉仕によってようやく完成をみた。

引用善長谷教会想い出

長崎の教会群、中町教会

原爆で大破した中町教会を、昼夜を問わない手作業で再建させた信徒たち。

不屈の中町教会信徒は、それにつづく善長谷のルルド造営に、勇んで励んだことだろう。

なお、当時の善長谷の秘境ぶりについては、なかにし礼原作、深町幸男監督の映画『長崎ぶらぶら節』(2000年公開)で映像化されている。興味のある方はごらんいただきたい。

【5】エピローグ

夕陽に照らされた善長谷教会

この集落は、今では過疎化の波がひたひとと押しよせている。だが、アンジェラス(天使)の鐘の音は、昔とかわらず美しい音色を善長谷の丘に奏でている。

世界遺産入りが決定的となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。善長谷はその構成資産には入っていない。しかし疑うべくもない潜伏キリシタンの遺産が、ここには実在する。

【6】善長谷からの奇跡の夕日

善長谷教会からの軍艦島の夕景 善長谷教会からの奇跡の夕景

善長谷教会からの軍艦島が見える奇跡の夕景

長谷川甚介とその子佐八。彼らとその家族が眺めたであろう感極まる夕景は、現在でも善長谷から眺めることができる。礼拝、見学に訪れた際には、是非ご覧いただきたい。

善長谷からの奇跡の夕景。その画像集はコチラです。

「善長谷教会からの奇跡の夕日」~軍艦島までつづく茜色の絨毯 
隠れキリシタンの子孫がたてた善長谷教会。ここは名高い夕陽スポットですが、特に12月下旬から1月上旬にかけて、夕映えが軍艦島を神々しく染めあげる奇跡の夕景を鑑賞することができます。ぜひこの時期限定の夕景を堪能してください。

 [了]

主な参考文献・サイト

• 三和町(編)、『三和町郷土誌』、三和町、1986年

• 遠藤 周作 (著)、 芸術新潮編集部 (編)、『遠藤周作と歩く「長崎巡礼」』、新潮社、2006

• 中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館 、1965年

• 長崎文献社 (編) 『長崎游学 (2)  長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』、長崎文献社、2008年

• 長崎県教育委員会 (編)、『長崎県のカトリック教会』、長崎県教育委員会、1977年

• 遠藤 周作 (著)、『女の一生―キクの場合 (遠藤周作歴史小説集) 』、講談社、1996年

• なかにし 礼 (著)、『長崎ぶらぶら節』、新潮社、1999年

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

善長谷教会想い出  

善長谷が登場する小説・映画

[小説]

遠藤周作   『女の一生』

なかにし 礼   『長崎ぶらぶら節』

[映画]

『長崎ぶらぶら節』 2000年、監督:深町幸男、主演:渡哲也、吉永小百合 | 第18回ゴールデングロス賞優秀銀賞、最優秀主演女優賞(吉永小百合) 1:25:00~

『精霊流し』   2003年、監督:田中光敏、原作:さだまさし 主演:内田陽、  松坂慶子 5:43 ~、   1:19:16~

『母と暮せば』     2015年、監督:山田洋次、主演:吉永小百合、二宮和也 10.14~(当地のカトリック墓地)

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脚注・出典

↑ 1. 1933年(昭和8)、佐八屋敷跡に浜口繁吉氏によって建立。三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、717ページ
↑ 2. ・三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、720ページ
・中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館、1965年、208~209ページ
↑ 3. 意味深におもえる善長谷の地名についてだが、西谷考氏によると、
1.ポルトガル語では異教徒のことを「ゼンチョ」と呼ぶのがその語源
2.そして、仏教徒を偽った善長谷の民が住む谷を意味して、ゼンチョと云うようになった、と論考している。
中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館 、1965年、208~210ページ
↑ 4. 半数はカクレキリシタンとして、旧三和町岳路に移り住んでいる。1964年(昭和39)刊行の中尾 正美著の『郷土史「深堀」』では、八幡神社の祭礼は、彼らによって祀り継がれているとある。岳路のカクレキリシタンは、昭和10年代にはその活動を終えた。しかし、八幡神社の祭礼は、善長谷と岳路の人びとによって現在も続けられている。
詳しくは「(俵石)八幡神社」 ~隠れキリシタンに祀られた八幡様」を参照のこと。
なお「カクレキリシタン」については、1ページ目の脚注・出典の[1]を参照のこと
↑ 5. ルルドとは
フランス南西部の小さな町ルルドでは、1858年以降、少女ベルナデッタの前にキリストの母、聖マリアが18回にもわたって降臨した。9回目に降臨した聖母は、ベルナデッタに洞窟でわく水での洗顔を指示する。その後、その水をのむと難病が治癒するともっぱらの評判となる。
「ルルドの泉」は、現在までに68回のこうした奇跡が起こったと公式にローマのバチカンが認定している。現在においてもルルド信仰は大変厚く、カトリックの一大巡礼地となっている。
このルルドを模した洞窟が、日本を含む世界中で建設される。日本最古のルルドは、五島列島・福江島にある井持浦教会のもので、1899年に開設される。長崎市内では、1932年に開設で、聖マキシミリアノ・コルベ神父ゆかりの本河内教会のルルドが有名(バチカン公式巡礼地)。

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