「長崎ロープウェイ登り駅」と併設する「淵神社」。
けれども、ロープウェイ利用客のほとんどが同神社をスルーして、登り駅に向かいます。
それはミスマッチ極まりない話。
なぜなら、「開運招福」、「縁結び」に絶大なご利益がある最強パワースポットを全力スルーしているから。
ましゃ聖地だけでない、魅力に富んだ「淵神社」をご案内します。
閑静をみだす行為は厳につつしみ、参拝作法とマナーをお守りください。
【御朱印】
予約制
所在地
長崎稲佐山ロープウェイ淵神社駅と併設。 |
住所:長崎市淵町8-1
社務社あり
参拝客用の駐車場について【要注意】
「参拝客用」と「ロープウェイ利用客用」の駐車場は別です。
お間違きように!
※現地到着前に、マップで確認ください。
それでは、境内を巡りましょう。
境内 見どころマップ
見どころはすべてマーク! 【現地到着後に活用ください】
「一の鳥居」、「慶応元年の石灯籠」、「二の鳥居」
道路に面した小高い丘が、淵神社境内となります。
昭和12年(1937)建立の「一の鳥居」。
一の鳥居の脇に建つ慶応元年(1865)に奉献された「石灯籠」。
(※「二の鳥居」は、享保18年(1733)建立。)
【閉業】福山雅治さん卒園「宝珠幼稚園」
福山ファン垂涎の聖地「宝珠幼稚園」。宝珠幼稚園の第3期生だった頃の福山さんは、この頃からイケメンだったのでしょうか。
幼稚園の前の通路は、3月下旬~4月上旬は桜のトンネルとなります。境内には『桜坂』のBGMが流れているのでムード満点です。
幼稚園のグラウンドには、引退したロープウェイのゴンドラが余生を過ごしています。
社務所脇の「庭園」
竹林、ツツジ、紅葉と四季折々の美観を提供する品の良い庭園。
庭園に立つ巨石は、昭和50年代に、長与の農民が奉納したとのこと(写真右下)。
「被爆クスノキ」
「大石燈籠」
庭園の正面にある高さ2.7メートルもの「大石燈籠」は、元禄6年(1693)に長崎奉行川口摂津守宗恒が寄進したもの。
以前は境内前が海岸となっていた淵神社。その海辺先の海中に「大石燈籠」は立っていました。
明治37年(1904)に、海面埋め立てのため鳥居の横に移築。その後、昭和47年(1972)に現在地に移されました。
「天女廟碑」
「大石燈籠」の背後に建立された句形の巨石碑。後述する「桑姫社」に祀られた大友宗麟の孫娘、桑姫の生涯について、千字を越える漢文で刻んでいます。
大友氏滅亡後に、桑姫とともに、長崎に移住したのが元重臣の志賀親成。以来、志賀家は代々、浦上淵村の庄屋の職を長崎奉行により命じられます。
「天女廟碑」は、この志賀家子孫により文政12年(1829)に建立されたもの。ちなみに、本稿で記載した「慶応元年の石灯籠」、「安政6年(1859)の建立の狛犬」、「文化元年建立の鳥居」は、すべて桑姫の命日となる8月7日に奉献されています。
「安政6年(1859)の建立の狛犬」
「文化元年建立の鳥居」
淵村の第10代庄屋、志賀和一郎が奉献した文化元年(1804)建立の鳥居。
拝殿の西、ロープウェイ駅の北側に建ちます。
「拝殿」で参拝します
前拝殿は1945年の原爆により倒壊。現在のものは1960年に再建。
あくまで推測ですが、やや無骨な感のある鉄筋コンクリート造りとしたのは、新浦上天主堂と同様に、二度と破壊されないとの強固な意思が働いたように思えます。
「恋みくじ」、「姫みくじ」【おみくじ】
世界的に稀有なキリシタン神社「桑姫社」
拝殿左手にある「桑姫社」を見学しましょう。
この神社の神さまは、キリシタン大名、大友宗麟の孫娘「桑姫(マキセンジア)」。世界に5社しか存在しない「キリシタン神社」です。
大友氏滅亡後、宗麟の妻ジュリアとともに、次女の娘・マキセンジアが当地に移り住みます。
マキセンジアは、桑を植え、養蚕を周囲の人々に広め、没後は墓に桑の木が植えられたことから「桑姫」と呼ばれるようになります。「桑姫社」は、元大友氏の重臣で、代々浦上淵村の庄屋を務めた志賀家子孫により、天保8年(1837)に建立されました。
「桑姫」が旧暦の七夕の日に亡くなったことにちなみ、「縁結びの神さま」として今も深く崇敬されています。写真右下の神社に祀られたマリア像。サラッと安置されていますが、常識ではありえません。長崎の歴史に深く根差した変わり種のお宮です。
「十二支神社」
淵神社 まとめ
『福』山雅治さんが卒園した「宝珠幼稚園」、境内に過去にあった「万『福』寺」と、『福』にまみれた「淵神社」。
また、縁結びにご利益満載のキリシタン神社「桑姫社」。
そして、縁結び・学業成就・安産祈願なら「十二支神社」と、淵神社境内はパワースポットの宝庫です。
稲佐山行きロープウェイを利用する際に、ぜひお立ち寄りになり、その霊験あらたかなお宮へご参拝ください。
ご由緒(歴史)【超約】
創祀は不明だが、戦国時代前には、当地に「妙見社」として弁才天が、背後にそびえる宝珠山には虚空蔵菩薩と玄武神が祀られていたという。しかし、戦国時代に長崎がイエズス会領になると、キリシタンの焼き討ちにあい荒廃してしまう。
荒野となった妙見社跡を憂いた開基龍宣が、江戸時代初期の寛永11年(1634)に「宝珠山万福寺」を開山。さらに13年後の正保4年(1647)に弁才天を合祀し、「稲佐弁天社」として再建を果たす。
明治元年(1868)に、明治新政府の神仏分離令により、市杵島姫命ら宗像三女神を祭神として、現在の社号「淵神社」へ改称。仏像群、仏具類は長崎裁判所に送り、梵鐘は売却する。
以来、近隣13郷の産土神として、住民に厚い崇敬をうける。 大正12年(1923)に、当時としては巨額な4万円を投じて、正殿・祝詞殿・舞殿・渡殿を大改築が挙行して、完工後に臨時大祭を執行した。運命の昭和20年(1945)8月9日、B29爆撃機より投下された、たった一発の新型爆弾により、荘厳な正殿は無残に倒壊してしまう。
昭和35年(1960)、鉄筋コンクリート製の社殿を再建し、現在に至っている。
ご祭神
- 主祭神:「田心姫命」、「市杵島姫命」「湍津姫命」(以上、宗像三女神)
- 相殿:「天御中主神」、「高御産巣日神」
「神産巣日神」、「菅原大神」
「金刀比羅大神」
例大祭
10月20日・21日 [稲佐くんち] 奉納相撲は日曜日参考:長崎ぶらぶら・・・開催月別郷くんち一覧・・・2018年参考文献・サイト:
• 長崎市役所 編、『長崎市史 地誌編 神社教會部 上』、長崎市、1938年
• 林田 秀晴、『長崎県の神社を訪ねて 本土編』、出島文庫、2004年
• 岩永 弘、『歴史散歩 長崎北西の史跡』
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