【深堀城山の登山ガイド】~「善長谷教会から俵石・亀石、俵石城跡、(俵石)八幡神社」への行き方

深堀の城山(俵石山)深堀漁港から眺めた城山。左手の丘陵にたつ十字架のついた大きな建物は「深堀カトリック教会」。かつてはここに当地の領主深堀氏の館「深堀陣屋」が築かれていたました。

城山の山中には、その名の通り江戸時代前まで深堀氏の居城「俵石城」が築城されており、石塁や横堀跡が現存しています。

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【1】「善長谷教会」⇒「俵石・亀石」

「善長谷教会」

善長谷教会

【善長谷教会について】

江戸時代後期に移住してきた隠れキリシタンの子孫が建てたカトリック教会です。

教会からの眺望は絶景のひと言で、目をこらすと世界遺産の軍艦島(端島)が見えます。このような数奇な歴史と県下有数の絶景を有するため、善長谷教会は数々の小説、映画に登場しています[1][小説]
・遠藤周作 『女の一生』
・なかにし 礼 『長崎ぶらぶら節』
[映画]
・『長崎ぶらぶら節』  監督:深町幸男、主演:渡哲也、吉永小百合
・『精霊流し』 監督:田中光敏、原作:さだまさし、主演:内田陽、松坂慶子
・『母と暮せば』 監督:山田洋次、主演:吉永小百合、二宮和也

教会横の敷地には、完成までに1年半も要した竹林から光沢がもれるルルド[2]ルルドとは 1858年以降に、フランス南西部の小さな町ルルドで、少女ベルナデッタの前にキリストの母、聖マリアが18回にもわたって降臨した。9回目に降臨した聖母は、ベルナデッタに洞窟でわく水での洗顔を指示する。その後、その水をのむと難病が治癒するともっぱらの評判となる。
「ルルドの泉」は、現在までに68回のこうした奇跡が起こったと公式にローマのバチカンが認定している。現在においてもルルド信仰は大変厚く、カトリックの一大巡礼地となっている。
このルルドを模した洞窟が、日本を含む世界中で建設されている。日本最古のルルドは、五島列島・福江島にある井持浦教会のもので、1899年に開設される。長崎市内では、1932年に開設で、聖マキシミリアノ・コルベ神父ゆかりの本河内教会のルルドが有名(バチカン公式巡礼地)。
がありますので、礼拝・見学に訪れてみてください。

◇ 善長谷教会についての魅力のすべてはコチラで。

「亀石・俵石まで」

城山への登山ルート善長谷教会近くにある隠れキリシタン、長谷川甚介・佐八の顕彰碑

城山へは善長谷教会横の階段をまず登ります。

教会横の山手へのぼる道から徒歩約1分で左手の木々の下に「長谷川甚介・佐八之碑」があります。彼らこそが当地へ最初に移住した隠れキリシタンです。

城山登山ルート

そのまま山手の道をすすむと、「俵石・亀石」と表示された案内板のある分岐点に着きます。案内板にしたがって、山道に入ります。

(※墓地まで辿りついた方は行き過ぎてますので、案内板のあるポイントまでもどってください)

城山登山ルート「八幡神社と俵石との分かれ道を示した案内板」のある分岐点に着きます。 分岐点から案内板にしたがって、「亀石・俵石」にむかって進みます。    

城山への登山ルート

数十メートル進むと「亀石・俵石」へ下るポイントにつきます。

下り坂は踏み跡以外に目印がないので、分からなかったら諦める方が賢明です。

なお、ここからの下り坂がこの登山道最大の難所です。特に雨で地面が濡れている場合には滑りおちる危険性があるので、絶対に降りないでください。      

城山登山ルート(亀石)

降りるとすぐに「亀石」の表示板があります。表示板からすぐに着きます。

大籠の奇石、亀石
「亀石」 別名「簡笥石」。

俵石とくらべて見逃しがちなので、注意してください。

幅約1m×奥行2m×高さ1mほどの奇石。その名の通り、亀の甲羅をほうふつさせる方形の亀裂が幾何学的にきざまれています。人工物か自然物かは不明です。

城山への登山ルート城山への登山ルート

次に「俵石」に向かいます。 元の地点まで戻って、下り道を350メートル降りていきます。滑り落ちないよう慎重に進んでください

「俵石」

大籠の奇石、俵石

大籠の奇石、俵石
「俵石」に到着。

直径30センチ、長さ1~1.5メートルぐらいの円柱状の石が、傾斜地からにょきにょきと突き出ています。「柱状節理」とよばれる自然現象で形成されたものか、それとも古代人が石垣として築いたものかはわかっていません[3]中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館 、1965年、210ページ

いずれにせよ、摩訶不思議な造形物群でしばし見入ってしまいます。

【2】「俵石」⇒「東城塁」まで

城山登山ルート

俵石から八幡神社、俵石城跡へ向かいます。

まずは「八幡神社と俵石との分かれ道を示した案内板」のある分岐点まで戻ります。そして案内板にしたがって進んでください。

城山への登山ルート城山への登山ルート

途中に「ロープ場」があります。滑らないよう慎重に進んでください。

登りついた先には「八幡宮と東城塁の案内板」が設けられています。

「俵石城跡の東城塁」

俵石城(深堀城)跡の石塁
「俵石城跡の東城塁」

「東城塁」の方が八幡神社より近いので、最初にこちらから見物しておきた方が望ましいです。 俵石城についてですが、正確な築城年代は不明。しかし、興味深い伝承が言い伝えられています。

鎌倉時代前期の建長7年(1255)。深堀能仲の時代に、承久の乱での戦功の恩賞として、肥前国彼杵荘戸八浦(現長崎市南部の野母半島一帯)の地頭職を幕府よりたまわる。

その際、将軍宗尊親王より恩賞として肥前・諫早領10万石か、それとも名城城山かという選択肢をあたえられる。能仲は天下の名城たる城山を選ぶ。[4]中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館 、1965年、210ページ

これに従うと、建長7年(1255)以前からすでに築城されていたことになります。

【3】「東城塁」⇒「八幡神社」

俵石神社の第一鳥居 「一の鳥居」に到着。

かつて隠れキリシタンは、ここで履物を履きかえ参拝し、岳路海岸の濃緑のうつくしい砂を境内に運びました[5]三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、720ページ
中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館、1965年、208~209ページ
。    

俵石八幡神社の参道(俵石城跡の空堀跡)

「一の鳥居」から「(俵石)八幡神社」までの約200メートルの参道。

この参道は、かつて深堀氏が居城としていた俵石城跡の横堀跡で、山頂の外周約600メートルにわたる広大なものです。そしてそれに沿って石塁が構築されています。    

「(俵石)八幡神社」

俵石八幡神社
俵石山の山頂に鎮座する「(俵石)八幡神社」に到着。

善長谷教会の脇にある山道入口からは約1時間の行程。

【ご由緒】    

鎌倉時代前期。深堀能仲は、承久の乱での戦功の恩賞として、肥前国彼杵荘戸八浦(現長崎市南部の野母半島一帯)を鎌倉幕府よりあたえられる。

そして能仲は鶴岡八幡宮で祀る神さまを、当地にそびえる城山(俵石山)の山頂に分霊してまつった。これが「(俵石)八幡神社」の起こりである。

時代は江戸時代後期に移り、1823年(文政6)。善長谷に移住してきた隠れキリシタンに対し、当地を領有する深堀鍋島家は、俵石八幡神社への祭礼参加などを条件として、彼らの信仰を黙認した。

その後明治になり信仰の自由が認められた以後、善長谷の住民はカトリックとカクレキリシタンとに袂を分つ。

そして後者によって昭和10年代まで、八幡神社への祭礼は続けられた。[6]宮崎 賢太郎 (著)、『カクレキリシタン オラショ−魂の通奏低音』、2001年、長崎新聞新書、254ページ
三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、717ページ
現在でも岳路と善長谷の住民によって祭礼は維持されている。

それでは、境内を散策してみましょう。

  俵石八幡神社境内にある神籠石

境内で静かにたたずむ「神籠石」

石器時代に神を祭るための祭具だったと中尾正美氏は推測しています。

俵石八幡神社境内にある城山の三角点俵石八幡神社境内にある陸軍省「長崎要塞第二地帯標 第八号」の碑

「城山の山頂三角点」(標高350メートル)陸軍省 長崎要塞第二地帯標 第八号の碑(明治32年6月10日建立)。

 

俵石八幡神社
ご由緒が刻まれた石碑と鳥居

かなり剥離してしまった石碑には、菩提寺十一世鶴天大き大和尚の撰銘にして、冒頭には「肥の前の州彼杵郡深堀邑俵石山八幡宮は原相州鶴ヶ岡八幡宮の若宮也而して此の地に遷祟したる所の鎮守也」と刻まれています。

◇ 隠れキリシタンにまつられた稀有な歴史をもつ「俵石八幡神社」。その専門記事はこちらです。

「俵石 八幡神社」~【隠れキリシタンに祀られた八幡様】
武士(もののふ)に厚く敬われた鎌倉の鶴岡八幡宮。その分霊を祀っていたのは、他ならぬ「隠れキリシタン」だった。事実は小説より奇なり このことわざを地でいく長崎市南西部の城山(俵石山)に鎮座する「俵石 八幡神社」を解説します。

登山を終えて。心のお土産に「奇跡の絶景」はいかが?

善長谷教会からの軍艦島が見える奇跡の夕景 城山登頂のごほうびに、善長谷教会からのとり肌ものの夕景を鑑賞されてはいかがでしょうか?(戦艦状の島は、軍艦島です)。至福のひとときをお約束します。

夕景鑑賞をお望みの方は、事前に 長崎の日没時間 を確認して、スケジュールを立ててください。

最新の情報とは異なる可能性があります。

必ず事前に、取材先の公式サイトなどで確認をとってください。

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この記事を書いた人

長崎ブログーッ!

 

長崎県の観光・お出かけ・グルメ情報を発信する個人ブロガー【月間30万PV達成】。モットーは「行く・撮る・食べる」。

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■長崎ケーブルメディア「なんでんカフェ」で、長崎ランタンフェスティバルの達人として出演(2020年2月3日放送)。

■「ながさきプレス」2022年12月号のインフルエンサー特集で紹介される。

■各種公的機関などに画像を提供。

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脚注・出典

↑ 1. [小説]
・遠藤周作 『女の一生』
・なかにし 礼 『長崎ぶらぶら節』
[映画]
・『長崎ぶらぶら節』  監督:深町幸男、主演:渡哲也、吉永小百合
・『精霊流し』 監督:田中光敏、原作:さだまさし、主演:内田陽、松坂慶子
・『母と暮せば』 監督:山田洋次、主演:吉永小百合、二宮和也
↑ 2. ルルドとは 1858年以降に、フランス南西部の小さな町ルルドで、少女ベルナデッタの前にキリストの母、聖マリアが18回にもわたって降臨した。9回目に降臨した聖母は、ベルナデッタに洞窟でわく水での洗顔を指示する。その後、その水をのむと難病が治癒するともっぱらの評判となる。
「ルルドの泉」は、現在までに68回のこうした奇跡が起こったと公式にローマのバチカンが認定している。現在においてもルルド信仰は大変厚く、カトリックの一大巡礼地となっている。
このルルドを模した洞窟が、日本を含む世界中で建設されている。日本最古のルルドは、五島列島・福江島にある井持浦教会のもので、1899年に開設される。長崎市内では、1932年に開設で、聖マキシミリアノ・コルベ神父ゆかりの本河内教会のルルドが有名(バチカン公式巡礼地)。
↑ 3, 4. 中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館 、1965年、210ページ
↑ 5. 三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、720ページ
中尾 正美 (著)、『郷土史「深堀」』、深堀地区公民館、1965年、208~209ページ
↑ 6. 宮崎 賢太郎 (著)、『カクレキリシタン オラショ−魂の通奏低音』、2001年、長崎新聞新書、254ページ
三和町、『三和町郷土誌』、三和町、1986年、717ページ

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