その古教会「神ノ島教会」と航海船を見送る「岬の聖母」との対比は、長崎ならではのビューロケーションです。
明治維新の記憶がまだ色濃い明治30年(1897)に産声をあげた「神ノ島教会」。1世紀以上にわたる歴史と見どころを綴ります。
場所は?
長崎駅から南西へ距離8km、車で20分要します。 |
住所:長崎県長崎市神ノ島町2丁目148
駐車場なし
教会下に空き地スペースあり。
見学・礼拝ガイド
拝観料 | 無料(※献金箱に寄付をお願いします。) |
拝観時間 | 8:00~17:00 ミサや冠婚葬祭時には、拝観不可な場合あり。 |
主日ミサ |
土曜|20:00~21:00 日曜|5:30~6:30/8:00~9:00 ※この時間での入堂はご遠慮ください。 信者以外でミサに参加希望の方は、カトリック長崎大司教区の説明を熟読ください。 ミサに参加したい方々へ カトリック長崎大司教区 |
問合せ | 長崎巡礼センター:℡095-893-8763 |
教会の保護者 | 聖フランシスコ・ザビエル |
見どころ
建築上の特徴
竣工 | 1897年(明治30年) |
設計/施工 | 不詳(デュラン神父設計説あり) |
外部主構造 | レンガ造、平屋葺 |
面積 | 290㎡ |
天井形式 | リヴ・ヴォールト天井 |
西政吉・忠吉兄弟の納骨堂と記念碑
江戸期を通じて、住人の大半が潜伏キリシタン(隠れキリシタン)だった神ノ島。幕末を迎え、大浦天主堂にプチジャン神父が赴任すると、当地を代表して西兄弟が確認に赴きます。
その後、西兄弟は神父の手足となり布教活動に尽力するも、明治4年(1871)検挙されました。死の危険を冒してまで、信仰復活に身を投じた西兄弟を称えるために、建立された納骨堂と記念碑です。
教会からの絶景
視界正面に浮かぶのが殉教の島「高鉾島」です。
ルルドのマリアさまに祈りを捧げて、教会を後にしました。
クリスマスイルミネーション
12月になると、イルミネーションで教会堂がカラフルにデコレーションされます。
✔次は、教会の階段を降りた先にたたずむ「岬のマリア像」を見学しましょう。
「岬のマリア像」
恵比寿さまとの共存
ドンク岩に立つ「岬のマリア像」
航行の安全を願って建てられた全長4.7m「岬のマリア像」。カトリック教徒と漁業の街ならではの景観を一人占めできる特等席に建立されています。
長崎市を彩る神ノ島
聖堂名に冠する「神ノ島」。誤解されることが多々ありますが、キリスト教のGod(ゴッド)に由来するのではなく、三韓征伐伝説を持つ「神功皇后」にちなみます。港に浮かぶ殉教の島「高鉾島」も同様。
神功皇后伝説が残る土地に、潜伏キリシタンが居住し、そして荘厳な教会堂を建立する。それは、多様性に富む長崎史の一ページといえるでしょう。
豊穣の長崎史を象徴する「神ノ島教会」。是非、直に触れてみてください。
参考文献
• 太田 静六、『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』、長崎県教育委員会、1982年、150頁• 長崎文献社(編)、『長崎游学2「長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド」』、長崎文献社、2005年、25頁
ただし、
参考URLなしの無断転載
SNS、YouTubeへの転載
画像の直リンク、リンクにrel=”nofollow”を記載
商用ポスターへの転載
(商用でなければ、相談に応じさせていただきます。)
以上は固くお断ります。
悪質な無断転載については、断固とした法的措置をとらさせていただきます。
(掲載している写真は全て筆者撮影です。特に表記がない限り、写真などの著作権は筆者に帰属します。)
長崎ブログーッ! | ||
| 長崎県の観光・お出かけ・グルメ情報を発信する個人ブロガー【月間30万PV達成】。モットーは「行く・撮る・食べる」。 | |
〈主な経歴〉 ■Yahoo! JAPANクリエイターズ トレンド/カルチャー部門 長崎市ライター【コンテンツ一覧】(1記事最高PV13,041 / 平均PV4,443[2022年12月5日時点]) ■長崎ケーブルメディア「なんでんカフェ」で、長崎ランタンフェスティバルの達人として出演(2020年2月3日放送)。 ■「ながさきプレス」2022年12月号のインフルエンサー特集で紹介される。 ■各種公的機関などに画像を提供。 ( ゚∀゚)o彡フォローォ!Follow @RnIl0GmXaS4l1dP |