思案橋のネオン・丸山町のライトアップ~情緒豊かにユラユラ光輝く街

ライトアップされた丸山公園の坂本龍馬之像、思案橋通り、料亭花月

チェックポイント 長崎一の歓楽街「思案橋」は、夜のとばりが降りると叙情豊かなネオンがキラめきます。

思案橋に隣接する「丸山」は、江戸の吉原、京都の島原と並ぶ日本三大遊郭「三場所」の一つでした。二つの町名を記した大提灯や、長崎の民謡「ぶらぶら節」の文字がきざまれた街灯などが丸山の街を艶やかに照らします。

その丸山は、1642年(寛永19)創建の「料亭 花月」や「イカルス号事件」で、坂本龍馬と縁のある土地です。丸山公園には、「小崎侃作の龍馬像」が建立されており、夜間にライトアップされます。

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思案橋【行こうか帰ろうか】

長崎・思案橋のネオン

かつての花街「丸山」の入口に架かっていた「川口橋」。ここで多くの男性が、丸山に行こうか帰ろうかと思案したことから、いつしか「思案橋」と呼ばれるようになります[1]嶋谷見立がシャムで購入した唐船の解体材で、架橋したのでシャム橋となり、しだいに訛って思案橋になったという異説もあります。参考文献:山口広助、『長崎丸山に花街風流うたかたの夢を追う―文人墨客や志士ら長崎遊学者たちが遊んだ街の物語 (長崎游学マップ 3) 』、長崎文献社、2007年、12頁 。暗渠化した現在は存在しませんが、「思案橋跡の碑」がモニュメントとして建立されています。

現在の思案橋一帯は、歓楽街となっており、夜のネオンがゆらゆらと艶やかな光を放ちます。

かつての一大花街「夜の丸山」をさるきましょう

二重門跡&レトロな交番

丸山 大提灯(二重門跡)と交番

写真の場所は、かつての丸山町と船大工町の二つの門が立っていた「二重門跡」で、ここが花街への入口でした。現在では二つの町名を記した大提灯が設けられています。

そのあいだにたつのが、レトロチックにデザインされた丸山町交番。

史跡料亭 花月

夜の料亭 花月(長崎市丸山町)

創建が江戸時代初期の1642年(寛永19)まで遡る「史跡料亭 花月」

一説には坂本龍馬が刀痕をつけたとされる床柱、妓楼「引田屋」跡の庭園、和洋中の意匠が混然一体となった洋間「春雨の間」など見どころ満載な料亭。

※門前までは見学可。花月の利用には、前日までの予約が必要。

長崎の民謡「ぶらぶら節」の街灯

丸山 ぶらぶら節の提灯

1999年に発表されたなかにし礼氏作の小説『長崎ぶらぶら節』。翌年には吉永小百合さん主演で映画化され、「ぶらぶら節」の名が全国的に知れ渡ります。もともとは江戸時代に端を発し、長崎の文化・風俗・名所を軽妙に歌う「お座敷唄」で、1931年(昭和6年)丸山の芸妓・愛八を歌い手としてレコード化されます。

丸山には、この「ぶらぶら節」の文字がきざまれた街灯が夜の街をやさしく照らします。

ライトアップされる「坂本龍馬像」

丸山公園の坂本龍馬之像

龍馬が足繁く通った「花月」や、龍馬と海援隊の命運を左右した「イカルス号事件」[2]この事件は泥酔した英艦イカルス号の水夫2名が筑前藩士金子才吉に丸山で惨殺されたのが発端。運悪く容疑者として海援隊士に嫌疑がかけられます。最後の長崎入りした龍馬にも厳しい追及が待ち受けていましたが、龍馬はきぜんと海援隊の潔白を主張。最終的には証拠不十分として海援隊への疑いは晴れることとなりました。当時はパクス・ブリタニカとよばれる大英帝国の最盛期。一歩間違えれば薩英戦争の二の舞となり、長崎と土佐が焦土化する危険をはらんだ事件でした。 が生起した地として、丸山は龍馬ゆかりの地となっています。その縁から2009年に、小崎侃氏作の「坂本龍馬之像」が建立されました。

この龍馬像は夜間威風堂々にライトアップされます!袴のなかのピストル、右手の懐中時計、そして龍馬アイテムとして欠かせないブーツの3種がすべて揃っている完全装備版の龍馬は必見です。

記事で紹介した各SPOTの位置

写真付きの地図を作成したので、現地でご利用ください。

思案橋・丸山町のライトアップ まとめ

かつてはわが国有数の花街だった丸山。情緒豊かな光をはなつ「花月」や「二重門跡」、そして丸山を闊歩していた姿を描いた「龍馬像」。

丸山の各名所を巡った後の歴史談義を肴にして、銅座・思案橋で長崎の夜を満喫するのがオススメですぜ旦那!

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脚注・出典

↑ 1. 嶋谷見立がシャムで購入した唐船の解体材で、架橋したのでシャム橋となり、しだいに訛って思案橋になったという異説もあります。参考文献:山口広助、『長崎丸山に花街風流うたかたの夢を追う―文人墨客や志士ら長崎遊学者たちが遊んだ街の物語 (長崎游学マップ 3) 』、長崎文献社、2007年、12頁
↑ 2. この事件は泥酔した英艦イカルス号の水夫2名が筑前藩士金子才吉に丸山で惨殺されたのが発端。運悪く容疑者として海援隊士に嫌疑がかけられます。最後の長崎入りした龍馬にも厳しい追及が待ち受けていましたが、龍馬はきぜんと海援隊の潔白を主張。最終的には証拠不十分として海援隊への疑いは晴れることとなりました。当時はパクス・ブリタニカとよばれる大英帝国の最盛期。一歩間違えれば薩英戦争の二の舞となり、長崎と土佐が焦土化する危険をはらんだ事件でした。
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